前に表現に問題のある本を取り上げた。もうすぐ出版された物が店頭に並ぶはずである。
一番の問題点は著者が特に診断をする資格保持者でもないのに人を勝手に診断した気になっていること、
その勝手な判断によって書かれたステレオタイプ的な障害者の風評被害が更に広まらないかということである。
私は診断でASDに該当しているが、特に異臭なんて放たないんですけど?毎日風呂かシャワーに入ってないとメンタルが死にかけるんですけど?
風呂キャンセルしたら肌が酷い抵抗をするのでとても入らないでは済まされない。
風呂は私のルーチンワークである。それも長風呂で一回入ったらなかなか出てこない。
石鹸、シャンプーの合う合わないは敏感な方なので刺激の少ないものを探して優先的に使っているが、まったく使わない、ということはない。
だが障害をもつ人の個人差によって水の触れる感覚が苦手だから風呂に入りたくないという人もいるのは理解している。
ASDというものは特に個人差が激しく、正反対の症状や感覚過敏、あるいは刺激を感じないという差が極端になり得る。
私など音楽会以外の大音量で流される公共施設の大音響なんてうるさくて出来れば避けたい。
かと言って同じASDでも何ともない人がいるし、そういう人でも特定のそんなに大きくない音でも耳を塞いだりする。
キチンとした医学書を読めというのはあまりにもページが多いし専門用語も多いから薦めにくいので、
専門の医者の書いた保護者向けの本や冊子や、成人向けの障害の入門書や障害を説明した新書などを軽くでもあたった方がいい。
特にこの本を見なくても大量に並んでいるから自分に気の合いそうなのを探すことは出来ると思う。本にも相性があるから。
百人居れば十人弱単純計算で何らかの障害あるいはグレーゾーンをもった人が居る計算になるから、
どうやっても全く目にも触れないで生活するなんて今ならとても難しいことだろう。
だからこそある程度知っておかねばならない。全く知らないから差別したり蹴りだすでは済まされない世の中である。
それがよいかどうかは全く別の話である。それとも知り合いが事故で障害を負ったらその人も遠慮なく蹴りだすのか。
それはそれでアグレッシヴ、攻撃的すぎてまた別の精神的な何かを疑われてしまうだろう。
ちゃんとした形式の本はお高いから、手軽に触れられる精神科医監修の本からでも充分理解は始められ、進められる。
少なくとも診断できない、権利もないカウンセラーの言うことよりは信じられるだろう。
間違っていることを人の判定基準に使えば、ラベリングだったりいじめや差別を助長しかねない。
少なくとも「合理的配慮」ではないだろう。
あと例の本の目次にはASDを「すぐにキレる!」とか書いてますがそこでもう人権侵害、でなくても誤った知見が差し挟まれている。
自分の場合何でもかんでもキレる訳ではなく、譲れないものを無思慮に譲らせようとしたり、
前例があるのに無視して踏襲しない人がいたら小言の一つは言いたくなる、
そしてそれはあまりにも細かい故に人が勝手に触らない限り実にどうでもいい。
ただ、それは私の話であって他の障害当事者の話ではない。
重い症状はどこか、軽い症状はどこか、何を素早く進められるのか、特性は人によって大きく異なる。
一概にしてしまうなんて本当に危険である。ASDの「スペクトラム」というのが「連続体」という意味なので、
固定された三つ組みの症状の強さも個体差も人によりバラバラであり、万人に適応できる基準などないと思うのである。
個体差も考慮せず過激な例だけを見てセンセーショナルな書き方をすれば、
差別を助長するものだとしても何ら疑いのないものだろう。
前にも書いたがちゃんとした資格を持った人の本を読んだ方が私はためになると思います。
人を勝手な基準でラベリングしたり先入観を煽ったりパワハラまがいのことが書いてあったらちゃんと声は上げないといけない。
無視とは黙認である。
誠に遺憾である。