アメリカという味付けをする文化 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

アメリカのものを使えと某大統領が仰っておりますが、私の使っているギターは正真正銘GibsonUSA、アメリカ製のギターでございます。

逆に言うとほとんどそれしかない。あとは手の込んだアメリカ製のギターエフェクターが数個あるくらいである。

車なんて燃費と大きさを考えたら国産車一択にしかなりません。

つまりアメリカ製というのは一種のブランド品である、と。

ギターエフェクターも中国のメーカーが作り始めてから価格だったり中身だったりがいろいろおかしなことになりつつある気がしますが、

逆に言えば機械でも気合いの入った職人芸だったり手の込んだ中身だったりするのは中国にやらせると不安になるのはまだ変わらない。

とは言えお金のかかった何かをする、特にモータースポーツに関してはアメリカ内のカーレース、

インディカーとかナスカーを(中継は日本語だが)定期的に濃密に摂取しているので、

あの言葉にしにくいアメリカナイズされた車の独自の競技性、というのは大国で車に関する基礎基本の製造技術があるからであり、

同じ事を金があるからといって中国にやらせるとたぶんそんなに面白くない、モータースポーツらしい何か、になってしまうだろう。

車にもちゃんとお金はかけるが、それ以外のショー的な部分のお金のかけ方の面白さはまだアメリカの味なのだろうと私は思うのである。

昔から見てきたF1も色々な組織の都合でなんか企業やコンストラクターごとのエゴを見ているようであって今なんてレースを見ている気にならない。

シューマッハとかもはや懐かしい存在である。まことあの頃はよかった。なのでその頃は別にインディカーを見るまでもなかった。

でも今はインディカーを録画しておかなければ変な禁断症状が出る。

ほぼ単一の国で開催するレース(ドライバーはあちこちの国からやって来ますが)というのはその国のことを考えればいいから、

逆に言えば独自性がウリになるので面白いのである。お前らなんでこんな公道走れる命知らず揃いなのかとか、あと生々しい喧嘩とか。

日本はレースになると何でも安全性とか不具合のなさをとことん追い詰めるからよくない。詰め過ぎて生々しさ、レースらしさがなくなる。

まあそれでも事故は起きるんですが、誰がぶつけたとかお前がやった、とか、

インタビューでアナウンサーに事故の怒りをぶちまけるとか、マシンから降りてそのまま殴り合いにならないのもかえってどうかと思う。

アメリカならといえば何だが、オーバルコースをグルグルずっと数百周回っているだけでうまく言えないが面白いのである。

何か野生味があるから。金をかけた野生味なんてアメリカならではである(個人の感想です)

あとはアメリカからマーチやジャズ等々のアメリカらしい音楽を取り除いたらただの国である。

もの、というか文化で濃く味をつけたもの、を理解していなければどこで何を作ろうとも単に高いだけの物に過ぎない。

それを何故作ったのか、そこまでに至った道理と理由が正しく伝わらなければ何も売れるはずがない。

文化を浸透、伝達しようとしないで、ものだけ売ろうとしても、いったい何が売れるだろうか。

誠に遺憾である。