※囲いは画像を保存したときには既についてたので自分がつけたものではありません。
最近この本が「困った人」側の方で表紙が無思慮だという話になっている。
私もその「はびこる困った人」なんですけどね。否定する気もさらさら無い。否定したところで障害はなくならない。愛でどうにかなるものでもない。
まあ正確に言えば「困った」よりも現在進行形で自分からはよく分からない人の気分に「困っている」ということになる。
「困った人」を「うまく動かす」なんて支配というか上下関係を解らせてやれみたいな感じであまり良い表現には思えない。
我々は普通の人の都合でうまく動かされなければならないのか。誰かが理不尽なことをいっても、疑うこともなく動かされなければならないのか。
確かに頑張りにも限界があって、どうしても人を頼らなければいけなくなったり、
不適応を起こして周囲に面倒をかけて本当に申し訳ないと思うばかりだが、
尻拭いって何や(ガチ切れ)そんなに人間はいつでも普通にならなければいけないものなんですか、それが出来ないから苦しんでいるのに、
と当事者の一人は言いたくもなってしまうのです。
言っていることが正しいとしても書いている態度が高圧的で気にくわない、とか別に健常者同士でもあるだろうに、と思う。
遺憾に思うあまりフリック入力の速度まで上がっている。
それでもって、中で扱われる様々な精神障害については動物の挿絵が入っていて、
私たちは人間でもないのですか、「人」の尊厳何処行ったんですかと問い糾したくなる。人間扱いされていない、ということでもある。
せめて困った「人」ではなく「状況」とか「うまく動かす」を「問題を共有し解決する」とか(ちょっと回りくどいか)
角の立たない表現はもっとあっただろうに、それだけで起こりうる問題が過度に大きくなることも防げたのにもったいないことをする。
内容がまともなものであっても表紙や帯の言葉遣いで損をする、というのはこういうことなのであろう。
実際自分など配慮も山ほどいただいて、何も返せなくて気の毒に思い、何かと一人になりたくなる衝動に駆られるタイプの人間である。
感謝、というか理解した上で施設内に一人で放っておいてもらえることに感謝しかない。
そこを問題視されたり、他の人にとって迷惑、困った事態だからと言い張って、状況を読まずに、勝手に人と交わらせようとする、
何かをしてあげる、という上から目線で見られると特に己が障害者だということがわかっていても聞いていていい気分にはなれない。
完全に対等、というのもきっと違うが、高圧的な話しぶり、俺が導いてやるという自意識過剰、言い換えればパワハラ、
そういう態度を助長する記述の多い本なら、むしろ存在しない方がいいだろう。
この文を書いている時点(4月17日)でまだ出版されてないから、公表されている部分でしか判断できませんが。
自分は学生時代から何故か「心理学」が好きではなかった。心理学を学んで人と接しているから自分は正しいという意識が垣間見えるからかもしれない。
空気が読めなくても調査するときのちょっと上から目線な感じ、明らかに調査のための対象にしかなってないと、
意図的に変な回答でもしてやる、と思ったものである。何の意味もないが。
病識がなかった時点でそれなのだから、病識がある時点で心理学カウンセラーというのがイマイチ信用ならない。
それなら医者とか現場で障害者にかかわる福祉の専門家に指導を仰ぎに行くわ。実際行ったし。
福祉センターに面談を申し込みに行ったり、有資格者の職員とカウンセリングしたり、当事者間でコミュニケーションをとったり、色々やったわ。
障害があるからこの人は常に下、という意識は持ちたくないものである。まあ作業所とか行けば障害で困った人にも更に上下があることがわかる。
きりがなくなるが別に障害者同士でも同じように「困った人」はいるし、何ならこちら側でも「うまく動かしてしまいたい」などと思う時もある。
でも障害はなりたくてなったものでもない。だからあらゆる無理強いはできない。大体人を思うとおりに動かしたいなんて単なる驕りである。
障害も性格も千差万別である。人による症状の差が著しく大きいので、ひとつの型に嵌めきった指導なんてあるはずもない。
障害にも先天的なものもあれば、事故や疾病などで背負うことになる後天的なものもある。うつ病なんてその最たるものではないだろうか。
ちなみに私は発達障害者だから産まれた瞬間に、既に障害者になっていたのである。否定する、拒否する権利も何もなしに。
そこに積年の人間関係のしがらみで、精神にダメージを余計に食らってうつが加算されて、人なんて最低限いればいい、みたいな気分になっている。
人の立場を理解せずに一方的に教え導くのが正解であるのなら、まずパワハラまがいの言動をぶつけたり、
飲み会を強制したり理不尽な仕事を振ったり、プライベートを人間関係で縛り付けたり、
職場で残業しなければならない空気を作ることから何とかしなければならないのではないか。
仕事だけをする、というのはそんなに難しいのか。仕事だけにコミュニケーションを絞って、プライベートには全く触れないくらいのことがあってもいいだろう。
最近の「普通の人」に求められるものはあまりにも多過ぎて高度すぎる。
出来ないものは出来ないと割り切ることも許されないならば大半の人は不適応になるだろう。普通でも普通でないことにされてしまう。
誠に遺憾である。
追記
読むなら大学の福祉専門の教授や医師等国家資格保持者、あとは当事者の書いた本を読みましょう。私はそうしてます。