人間の範囲外にいるひとりの人間 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

障害と呼ばれなかったら、自分など単なる超絶人間性に難アリとでも書かれて端に除けられて終わりだろう。

自力でどうにもならない人間性って何なのとは思うが実際そうとしか言いようがないから仕方がない。

現代社会が現代として過ぎる課程で現代に見合わない価値観や人間性、身体機能、それから知能、

その全てを障害として弾いて来たために人間性が洗練されていき、ますます正常な人間の範囲が狭められていく。

メンタルを崩すのが悪く、メンタルを崩させる人間に対しては大して言及もされないように。

どうしようもない人間がいるから退職代行サービスの検討をしなければならないのに、そうさせた人間の言動については吟味されない。

いつも何かを言われるのは崩した側の方である。


閑話休題。

とにかく人間性で言えば下劣ではないがあまりにも杓子定規で型にはめすぎるためつまらん人と言われたら否定しようがない。

趣味などの本題からかけ離れた話題を得意とするがマニアックなのが高じて場の空気を乱す。

話が脱線したらそのまま帰ってこない。

これでコミュニケーションに難がなくて一体何なのだろうか。

これに場の空気が読めない、人がどう思っているかわからないから自分の道を進む、などなどの難アリの難が極まったようなことをすれば、

そりゃ人間性に問題があると断じられても仕方がないだろう。

ところが社会性とか空気を読むというのは全部論理性ではないから、

感覚的、感情的なものが読めないとどこまでも論理性で解決するわけで、そんなことがうまく行くはずもない。

人の感情を全部棚に上げてデータ化された数字と言葉でしか判断しない、判断できないから場の空気なんて知ったことか!と言う。

当然不平不満は出るしこの人何考えてるのかと思われる。当然評価も下がる。

よりによって人と関わることを目的とした仕事に就いていたのでそれはもう大惨事であった。

上からは呆れられ下からは不平不満が渦巻き、何なら人と関わることをしない仕事はないですか、と診断前なら空気を読まず聞いていたことだろう。

その程度のことは空気を読めないからいとも簡単にやりかねない。

もっとも診断されて症状を自覚しても同じように地雷を踏みに行くから障害レベルなのですが。

感覚的なものが理解できないから理論で武装するしかない、というのを執拗に積み重ねた結果、

何も喋らない方がまだいいだろう、何をやってるのかと言われないためにも、

喋ったら最悪の結果になるからもう口は極力開かない、関係を深めたら節操がなくなるから人と関係を深めない、

という結論になって人との関わりを可能な限り落として生活している。

そうでないと私の人間性は保てない。

特に私生活に踏み込まれると脆いのでプライベートは人との距離感を保てない人には明かさない。

人と居るとゴタゴタになるなら人と関係を深めないでいいはずなのに、世間ではそれを孤立とか言う。

孤独になるような社会性しかないのにどうやって人と関係をもつというのか。

引っぱり出されてあれこれ文句を浴びせられた挙げ句、厄災とか言われる人の身にもなってほしい。

それが嫌だから孤立しているのに。

誠に遺憾である。