カサンドラ症候群って言われてボコボコにされる側の戯言 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

カサンドラ症候群とは何かというと「配偶者が発達障害者(主に自閉症スペクトラム)で、特有の発達障害的な行動に振り回されてメンタルが病む」

ということ(多分要約出来てない)なのだが、よくよく考えたらこれ発達障害者を雑に分類してぶん殴っていいですよとか言われているに他ならない。

なんで発達障害者が一方的に差別、断罪されなければならんのです。

発達障害者からパートナー(誰でも)へのダメージは考慮するのに、

パートナー(健常者)が発達障害者に与えるダメージは考慮されない、と言っているようなものだと思う。

少なくとも平等ではない。発達障害者の行動に振り回される=悪でないとこういう発想はできない。

自分なんて病院に駆け込むほど人間関係に困って発達障害と診断されたのに、そういう状況は加味されることはない。

どんな人でも発達障害と診断されたからこそあらゆる状況を加味して考えなければならないのに、

配偶者や家庭からはいつでもカサンドラ症候群になったと言われる可能性に怯えないといけない。

これで憂鬱になるな、なんてとても言えないのではないか。

自分の言動やコミュニケーション不全で悩んでいるのに、お前の言動で被害を被った、謝罪や賠償を要求する、

なんて言われたら適応障害があったら更に悪化するわ、と思いました。まずは離婚する。自分は結婚してないのでできませんが。

カサンドラ症候群とまことしやかに話題にされるほどにそんな事を面前で簡単に言う人間なんて信じてられるか、と頭をよぎるようになる。

発達障害というのは逃げても逃げられない一生付き合わなければならない障害である。

その位置にいること自体を責められるのであれば、もう一人にしてくれと私などは言いかねない。

薬を飲むといっても発達障害では今現在、ADHDの多動を抑える薬しかなく、

これから出てくるかもしれないが今発達障害全体に効く薬はない。何があっても現状でしのいでいくしかない。

あとは出てきた二次障害に合わせて抗うつ薬とか抗不安薬、精神安定剤などを適宜服用するしかない。

逃げられない障害に向かってタコ殴りにするような扱いを自分は「カサンドラ症候群」という単語に感じるわけである。

障害レベルでどうにもならないものを一方的に断罪されると一生頭が上げられなくなる。

原罪ではないが発達障害者は自己責任で全員十字架を背負って一生罪を贖い続けなければならないとでも言うのだろうか。

これで逆に「健常者からあれこれ言われ続けてメンタルが病む発達障害者特有の症状」なんて言えればいいがそんなものはない。

適応障害とかうつ病と言われるか社会不安障害、人格障害を併発するのが関の山である。

何より抗弁の機会さえ与えられないのはどうすればいいのか。

カサンドラ症候群の当事者が集まっても被害者は集まっても、加害者は果たしてどこに集められて何をさせられるのか、そもそも集まるのか。

井戸端会議のもっとあくどい奴、と発達障害者に思われても仕方がないだろう。

一方的、というのはそういうことである。逆カサンドラ症候群みたいな表現もない。

そんな言葉ならない方がいい。人を断罪するには逆に断罪される覚悟がなければならない。

覚悟のない断罪なんて骨を抜かれた魚のようにペラペラで偏狭なものある。

「そうか、そうか。つまり君はそんな奴なんだな」

と常に匕首を突きつけられなければならないようなことを果たして平和とか平等とか言えるのか。

誠に遺憾である。