自分は障害者手帳を申請するときにうつ病とつけて二年に一回申請している。発達障害がうつの原因ではあるがあくまでも申請はうつ病である。
発達障害が全部の原因というわけではないだろうが、対人関係はとにかく破裂したし、炸裂したし、怪訝な顔をされた。
手帳を見せたり先に障害を公開しないと申し込めない、入れない場所以外人間関係はそう簡単に持続しない。
前もって発達障害と説明できるからこそ、空気が読めないのも話がどこか噛み合わないのも何とかしていただいているようなものである。
全員障害者であればそこまで気を配る必要はないし、そういう場所はスタッフが常駐しているので何かあれば相談すればいい。
発達障害と言えないような場所では本音など言えないしカミングアウトもできないし会話が成立しないのも自己責任で済まされる。
発達障害の診断を受けると決めたのが社会人になってから、社会に揉まれてどうもこうもなく、何もかも、全然人間関係が成立しないからである。
何をやっても、知識と努力と根性でどうにかしようとしてもトラブルばっかりだったからなので、
あれこれ社会に揉まれてボコボコになって人間嫌いになったが、人間嫌いが人と会ってうつにならなかったら一体どこでうつになればいいのか。
一人の気楽さ、何から何までを個人の独断と偏見で片付けられることのなんと楽なことか。
と言うと一時期急に出てきて言葉だけ一人歩きした「新型うつ」みたいな話になるが、
「新型うつ」も要はある特定の場だけ適応できないと言えば、ただの言葉遊びになるかもしれないが、
適応出来ないからそのまま「適応障害」と言ったら、うつ病となる前段階のような、普通に存在する診断名だったのに。
私の場合人と関わって散々な目に遭ったり遭わせたりして、自分にも相手にも重い負担や責任を背負わせてきたから、
あれこれ求めるのも求められるのも本当にうんざりした。疲れるというと語弊があるかもしれないが余計なことを人に背負わせ、背負われたくない。
もう一人にしてくれれば、負担がないので気楽になり、これ本当に同じ人間なのかと言わんばかりにテンションが上がる。
外で人混みのゴタゴタや何故かうるさい人に巻き込まれたりして凹んでうつ状態になっても、程度が軽い時なら家の自室の戸さえ閉じればいい。
そのまま一人きりになって、趣味(当然一人でやるもの)とかこなしていればいい。あくまでも人を巻き込まないのが私の流儀である。
趣味ではどうにもならない、取り組む気になれない程に重ければ、布団の中から出られるかみたいな状態になってしまうので、
気を見計らって起きて心療内科に出かけて、主治医にその旨相談し適切な処置や投薬を受ける。
治療をして一人でいて、時間をかけて整理すれば誰にも気を配らなくてもいいので元のテンションに戻る。
人との間に紛れ込まないようにして、何も起こさないようにするから私は気楽でいられる。外出先でも一人でいられる場所は優先的に確保する。
私にとってうつ状態が発現するのが人混み、うるさい場所や環境、客引き、勧誘、何もないのに寄ってくる、話しかけてくる人々、
あとは何かの出来事に目立つ位置で出演するときに緊張したりパニクっているときの会話なんて話にならないくらいに酷い。始末に負えない。
正直何かやるべき事をやる前のガチガチに緊張しているときと、やるべき事が終わった直後の全てがフッと抜けている時は本当に話しかけないで欲しい。
誰かと遊んでいても酷いし(会話がどこか噛み合わないという意味で)同じ意味で酒の関わる宴会の場が一番酷い。
自分は宴会でも酒は飲まないが、飲まないのに飲んでグダグダになっている人と同じくらい酷い。
こう、もっと静かに、話をしないで純粋に遊戯なり食事はできないのか。出来ないなら即刻帰りたい。
一言も話す内容がないのに話さなければならない場に担ぎ出されるなんてどういう拷問ですか。それ一番苦手だと公言しているのに。
皮膚炎が深刻化していなかったら、朝から晩まである程度の広さの菜園でもあてがわれるようにして、
種を植えたり苗の見張りや手入れ、収穫をしながらそこで誰とも話さないままで植物や虫と戯れているかもしれない。
植物や虫は喋らないからである。茎や葉や実を虫にや鳥に食べられて全滅しそうなら話は別だが、自然の摂理に目くじらを立てたりしない。
何より特に見ているだけでいい生き物に対して余計な声かけはしないだろう。念でよく育て、元気に育てと思うばかりである。
それが終われば夜などにこのような原稿を一人で部屋にこもって書き上げるので、本当に声を出さない時は何も出さない。
昔は音楽活動を盛んに行い、方々で散々歌ったり叫いていたにも関わらず。
でも別に音楽だって担当の楽器やパートをこなしていれば歌詞以外喋る必要なんてないのです。
指揮者や同じ楽器パート、あるいはバンド仲間で多少話を合わせたりはするがその程度である。
打ち上げや宴会とか、演奏会本番に比べれば本当に些末な、些細なことである。どうでもいいならどうでもいいことにして出ない。
一刻も早くパーソナルスペースに帰還して、畑を眺めたり日記をつけたり、一人で弾き語りをしたり、
あとは読書やゲームや自作パソコンなどなど、一人で出来る娯楽に全力を注ぐのです。
○○の会、なんてあればあるほど疲れる。人の集まる場所は人間が目まぐるしく動き、とてもリラクゼーションなんて出来ない。
単に子供の発する大声とか酒に酔った人間のハイテンションな叫びを聞いただけで日常の数十倍は軽く疲れるというのに。
「人と触れあわなければいけない」と言う人が私を何処かに連れ出そうとするが、行くなら行きたい場所の希望くらい聞いてくれと思う。
主張を無視されて人混みのゴタゴタに巻き込まれたりうるさい飲食店に長時間放置されるなら、一体何が人付き合いというのか。
疲れる場所にわざわざ行っては疲れて、楽しかったかい、なんて聞かれても、何も答えなくはないくらいに疲れているから答えたくもない。
私を巻き込む人は、一日二回抗不安薬を服用していることの意味とか因果関係とかを私自身に聞いていただきたいものである。
誠に遺憾である。