一番前も二番手も走りたくないという我が儘 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

何かをするにつけ、一番才能のある人が一番前を走るのは決まっている。

才能がない上に人づき合いが極めて悪い、のし上がるのに人づき合いが出来なければ円満にも行かず、

結果的に全力で蹴り落とすのがコミュニケーション能力に障害があるという人間の悩みである。何をしても当たり前のように角が立つ。

そんなのが人の上に立ってもすごいパワハラとしか言いようのない状況なので一番前を走っても何ら安心も出来ない。

蹴落とすということは蹴落とされるという報いを受けなければならないからである。

なので一番前を走れたとしても今は走りたくない。前に進むのは進むけど角が立たない目立たない位置に立ちたい。

そして一番前を走る人にさりげなく手助けができるのであればこっそりと目立たないようにやって過ごしたい。

目立つとコミュニケーション能力がないのもついでに目立つから、何事も目立たないのが世を渡る術みたいになっている。

これでも音楽ではそれなりに専門的なことを努力してきたから、コミュニケーション能力が壊滅的でも芸術サークル活動はできる。

演奏活動が出来れば他はしない、打ち上げとか出ないし会議の場にはいない。本当に純粋に音楽しかやらない。

他の雑務はやらないというか出来ない。

例えば協賛の協力を求めるのに企業や個人に問い合わせるとか何処かを訪問する渉外の仕事が致命的に出来ない。障害者だけに。

それから誰かと打ち合わせて練習の日程を決めたり、円滑に雑務を進める能力もない。トップダウンで誰かが決めたのに従うだけである。

当然意見とか発言を求めても何も言わない。多数決があれば手を挙げるくらいしかしない。角を立てたくないから。

音楽サークル活動において音楽の訓練をしてきたから、その技術を活用、披露して演奏のレベルアップを図ることしか出来ない。

一芸特化というか、音楽なら音楽の、美術なら美術のことを一つしか片付けられない。特に人間と関わることになればからっきしである。

いい物を作れたとしても、それを人目につくようアピールしたり宣伝したりお金になる形にして販売したりは出来ないのである。

何ならタダなのが一番いい。お金なんて余計なことは考えたくないなどと平気で言い出すので金稼ぎもできない。

お蔭様で作業所においてもワンマンというか独自路線を極めてしまっている。良くも悪くも。

人と組めば足並みが知能に釣り合わない程度に乱れて混乱の元になるから、マイペースで作業をするしかない。

出来れば一人の指導員に一人でつくなんてやれるものならやりたいがそんな贅沢は到底許されるものではないだろう。許されてはならない。

結果的にある程度業務を委任される形で権限を委託され、黙々と一人で指示を受けた作業をひたすら片付ける毎日を送っている。

ただそうなると結果として必然的に一番前をずっと一人で走ることになるわけで、当然のように誰もついてこない、誰もついてこれない。

二番手以降がいないから常に一番ではあるが、そんな一番など自慢にも何にもならないだろう。比べられるものが存在しないから。

常に独走していたら独創性も何なのか分からなくなってくる。比べられもしないのは分かっているが、時々外に飛び出したくなる。撃ち落とされに。

張り合いがない、切磋琢磨もない、精神的には平和なのだろうけれど、争いも抗いもない世界はおもちゃ箱の中でしかない。

しかし一人で作業をしていることに何も間違いはないから、徹頭徹尾一人きりである。

こんな状態で体調不良に見舞われたら代打もいない代役もいない引き継ぎもされていない、と全部ストップしてしまう。

うかつに休めないが風邪なんて感染するときは時間を選ばずに感染する。新型コロナも全く同じことである。

作業所というのは難病、内臓障害や疾患持ちも多いので、迂闊に感染症にもかかれないし、かかれば感染症の種類に応じて自宅待機になる。

当然突然何か連絡が入って急に濃厚接触者になったり検査に引っかかるということになれば、当然出てこられない上に、

誰にも代役なども任せられないので、急に私の関わる全業務がピタッと完全停止するのである。

それに常に一人であることが続くと張り合いを時々失ってしまう。逃げ馬が全力で飛ばしたら後ろがスタミナ切れを起こしてついてこれない。

いるけれどいないような状況なので足元を脅かす存在も皆無だし、安全と言えば安全だが孤高すぎて生きる意味を失う。

全力で仕事をするのは必然としても後ろの能力に格段の開きがあれば教えることも苦労するし、

福祉施設の職員が誰かいいのをスカウトしないか、引き抜いたり呼んできたりしないか、などと意味不明なことを考えたりもする。

追われるのはつらいが追われる気配が全く感じられないと、いつまでも一人で走るのか、バトンを渡す相手もどこにもいないのか、

などと虚無感だったりだったり虚脱感だったり独自路線を貫いた報いを殊更に感じざるを得なくなる。

いつか誰か才能に貫かれた向上心のある人に追いつかれないだろうか。補欠も穴埋めもないことで自分を追うのは自分の傲慢さと怠慢さだけである。

こう、導火線の火花とその弾ける音しか聞こえないような、本当に一人であることが、そのまま自分の存在意義になるようならやり過ぎだろうと思う。

競争、それは苦しい。誠に遺憾である。