田舎暮らしで何が困るかと言えば、そもそも作業所の数自体が少ないし人間の数が今後減るしかない、現実的に過疎化しつつあるから、
今現在通えている場所の未来さえ不透明だということである。
場所が少ないということは、自分に向いた、障害に合わせた作業をさせてもらえるかも不明、今現在できていても未来が見えない、
例えば身体の障害でも鬱やその他精神的な障害でも、肉体労働が不向きだと分かっているが肉体労働をしなければならなくなる、
とか需要と供給が不釣り合いになって行き詰まりを起こすことになる可能性が高まる。
やることがなければ例え動けていてもすることがなくなる。バリバリにパソコンの仕事ができてもパソコンの求人がなければ働けない。
かと言って障害者であるが故に都市部に出てきて一人暮らしが簡単にできるか、というのも微妙だし、
なんなら障害者でなくとも独り身である、ということだけで孤独死リスクが高まるということで家を貸してもらえない、まであり得るから困る。
障害者が地域での生活を送る、というのはそんなに簡単に出来ることではありません。人付き合いをぶつけられたらどうなるかわからないから。
私は何もしないことで自分の精神的な安全を保てると思っているので、地域社会という場所には飛び込めない。
自分が何をしているのか全く気にされないし、周りに誰がいるか気にしない、そのようなライフスタイルを送りたい。
実際これまで一人暮らしを十数年していたときは近所づきあいというものがほぼ全く無かった。
隣の人が何をしているか、何ならどんな人なのか、人相すら全く知らなかった。
発達障害と診断を受ける前も後も一人暮らしをしたが、人付き合いの無さはそんなに変わった気はしないので、元から無理だったのだろう。
人が増えるほど不慮の事態に陥る可能性が高まるので、福祉施設の関係者など可能な限り人間関係をミニマムにして、断捨離しておきたい。
地域社会に見守られるということは、自分には得体の知れない存在、黒い霧に囲まれながら過ごすようなものである。
そうなるなら一人暮らしをしても何だか息が詰まるだろう。人間から極力フリーになることが私の精神的自由である。
作業所に行くなら作業所だけ、またそこと繋がる病院や福祉施設など、可能な限り限定的な細い繋がりだけ保って、
その他はなかったことにしたい。近所づきあいの最たるもの、町内会とか自治会とか、トラブル、混乱の元である。
やりたいことがあっても、やりたいことが出来るためにはまず大都市に一人で暮らさなければ需要をサーチすることも不可能だが、
そこにたどり着くまでにしなければならなくなることがあまりに多過ぎる。
若いうちなら孤独死リスクも少ないし、周囲の環境とかにもう少し柔軟性があっただろうが、年をとれば元々偏屈だったのがより一層酷くなる。
感情のコントロールも段々色々挟まってきて簡単ではなくなるから、今まで出来たからと言ってこれから出来るとも限らない。
発達障害なんて偏屈さの極みだろうが、加齢によって華麗(?)に悪化してしまうのである。
やりたいことをするために、その場所のごく近くに親や親戚がいることを期待しなければならない生活とは一体何なのか。
それは人間的なのか。誠に遺憾である。