順当そのものでしかない選挙 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

まあ、都知事選も瞬殺でしたね。

この国では政党の組織率が一番意味をなすのです。その他の浮遊している支持政党なし、無党派層はその身分が固定されないが故になかなか戦力としての予測も測れない。

そういえば何処かに「支持政党なし」という名前の政党がかつてあったような気がしますが、今話を聞かない程度の問題だったんでしょう。

知事選挙というのは椅子が一つしかない。椅子を巡って多くの人が争うならば、当然のように票がばらけるから、ばらけないようにしないと勝てない。

与党と野党の寡占も困るが、政治として対抗する勢力がグラグラでまとまりに欠けるのも正直どうかと思う。

あまりにもグダグダな言い争いを続けていれば、話を聞く気がないほどしらけて、政治そのものに対する無力感、虚無感、ばかりが生まれる。

必死にテロに訴えるほどのがっちりした組織とか出てくる気もしないし、その割にはあっさり元首相が射殺されるくらいのざっくりした感じなので、

特に1984的な一党独裁というわけでもなく、最近の首相の支持率も踏んだり蹴ったりなのでカリスマがあるわけでもなく、

そんな体たらくの政党にも手も足も出ないで勝手にゴロゴロ地面を転がっているようで、野党は野盗ほどの恐怖感もない。

勝手に出てきて勝手に撃ち落とされる出落ちのようなものである。

呉越同舟ではないけどもう少し息を合わせるとかなんとかしていただけませんか。

こんな体たらくだから二大政党制が云々言われてしまうのである。

二位の人と二位じゃ駄目なんですかという人とその他大勢を一つにある程度まとめれば案外いい線行きそうな気がしないでもないが、

ある程度まとまれもしないのが結局定期的に弱点を露呈する形になってしまうのである。

二位と三位が勝手に殴り合いをして脱落すれば、政党の後ろ盾のある一位は余裕を持って勝ちに行けるでしょうに。

そこには緊迫感も何もない。なんか余韻のようになんか勝ったというだけである。

番狂わせは滅多に起きないから番狂わせなのです。ジャイアントキリングが頻繁に起きるならそのジャイアントはジャイアントではない。

選挙は別に興行ではないが、興行として見るなら盛り上げるだけ盛り上げておいて結果は順当そのものでした、なんて金も出したくない。

番狂わせが微塵もおきないなら娯楽としても何の価値もないから報道する理由もないだろう。

選挙は賭けではないが、なんかほぼ確実にこいつしか勝たない、というなら博打は成立しない。胴元も商売あがったりである。

そんな塩試合、日本国民の東京都民以外は確実に部外者でしかない試合なんて、部外者は敢えて見に行きもしないだろう。

面白くない試合なんて見せられたら身内でも帰る。なんか起伏ください。誠に遺憾である。