最近人前で露骨にため息をついたりすることがハラスメントであるとか記事で取り上げられていたが、
いずれは生きることそのものがハラスメントになるだろう。この調子だと。
おおよそ何者も生きていることが自然に対するハラスメントである。
要らない雑草を抜き去り、要る苗は自分の一部かあるいは子供か配偶者であるかのように可愛がり、
そうは言ったものの残酷に刃を振るいその手をかけている苗を切ったり、良くないと思っている実を切り離したり、
人間の自然に対するエゴイズムというのは絶え間なく、しつこく、そして飽きられもせずにふるまわれるのであります。
手入れをしている瞬間というのはその瞬間に生きているので省みることは出来ないが、あらかた作業を終えて収穫物を箱にしまい、
切り落とした葉や茎を掃除して地に還していると、これが一方的なエゴイズムでなければ、何がエゴイズムに該当するのか、等と思う。
今度ドクダミが密集しているところの人に許可をいただいて、ドクダミ採り放題になったが、ドクダミの側からすれば迷惑極まりないだろう。
ことあるごとに引っこ抜かれたり、干されたり、なんかお茶の原料にされたり、料理の材料になったりと、要はあらゆる研究の材料にされるわけで、
万が一ドクダミに救いはないんですか、と聞かれたら救いはないね、と言うだろう。
これをエゴイズムと言わずして何と言おうか。人間は植物よりも偉くなったつもりか。
実際植物でも動物でも食べなければ生命を維持できないが、そのために生命を選別することすらエゴイズムでなければならない。
人間は存在としてエゴイズム、エゴイストである。頭が動くだけ余計に救いようがない。
意図的に広大な範囲に毒をまき散らすような被害をもたらして平然としている。
畑とか選別、優生学の最たるものだと、家庭菜園をして自分で畑を耕しながら思うわけである。
誠に遺憾である。