何故かは知らないが今年から畑作業に目覚めたので人力で頑張っている。
よく分からないけど畑で一年分の収穫物が取れたら持続可能な開発にならないだろうか、などと言いながら。
電力とかエネルギー問題など畑を耕してもどうにもならないことについては触れないことにする。
種はその辺の野辺にある種や苗、足りない種は苗を買うが、なるべく今年収穫して来年使える種が取れる品種にする。
なんなら勝手に生えてくる雑草も使ってしまう。蕗とかヒユとかその辺も。
寒冷地である以上熱帯で植えられるものは大して育たないし(昨年四角豆を植えて収穫はゼロでした)
寒冷地であるが故に冬は秋の終わり、霜が降りたり雪が降るまでに採れたもので何とか生きていくしかないので、米をやらなければ芋は必須である。
秋植え、ということが雪のせいで何も出来なくなるので、越冬というのは外に迂闊に出たら路上で凍死するという意味を含めた越冬である。
要は地中で埋まって冬場は冬眠するようなものしか埋まっていない。あとは雪と氷と樹木と何かの種とまっさらな地上があるだけである。
秋植えの花が十一月とか十二月に咲きますよ、という体験はこの地では不可能である。可能だとしても石油を焚いて家の中、だけである。
でも石油をバンバン使うなんてそもそもSDGsではないだろう。コスト面を考えなくても無駄なエネルギー消費だというのはわかる。
地中で冷凍保存できる野菜を使うまで雪の中に埋めておくとか、それを見越した作物の選別が必要になってくるだろう。
夏の間に野菜を乾燥させたり、漬物にして仕込んでおくとか、とにかく冬の何もない時期のための対策が求められる。
それを含めた自給自足だから夏には多めに収穫しておかなければならない、と思った結果がスベリヒユの自家栽培です。
その辺の土に生えたスベリヒユを耕地に植えて伸びる方向をコントロールしながら伸びた場所をいただく。伸びすぎたら干す。
この時点ですでに訳がわからないと親には言われている。
さらに野生のニラの種を蒔いたり、スーパーで買ったネギの下半分を植えたり、追加で干し葱を刺したり、ハーブ系の葱を追加したり、
粘土質で何も生えない不毛の地にみょうがを埋めておくなど親からすれば何考えてるんだという行動に出ている。
何もしなくても勝手に冬を越して勝手に生えてくるシステムを築いておかなければ、もし何か負傷して動けなくなったらどうするのかと。
シソとニラとネギと芋とスベリヒユだけでも勝手に生えてくるようになれば、あとは作業を減らして実りある農園を築ける。
みょうがは数年間放っておけばヤバいくらいに根が伸びるので、「みょうがは旨いですよ、日陰に埋めて絶えず水やっとけば採れますよ」と勧誘する。
何故なら根が入り組んだらみょうがの育ちが悪くなるので掘り返して配置し直さなければいけない。
その度に大量のみょうがの根が放出される。みょうが農家でもボロボロ増えすぎて根を廃棄場に投げ捨てる程度には増殖する。
その結果、布教のために増えすぎた根っこを配布する。しなければいけない。無限増殖って怖くね。
で、固定した植物はそのままで、余った土地にその年なんか興味本位で食べてみたい物を植えれば、秋の最新作などといいながら長く楽しめる。
多く収穫ができるに越したことはないですが、植えていること自体を楽しむ、変化を楽しむ心は家庭菜園ではなくしてはならないだろうと思う。
極論苗を育てるのが面白ければ収穫物がゼロでも精神的には困りません。収穫物はあくまでも副産物みたいなものです。
農家ではないので別に苗が育たなくて収穫できなくても収入には影響しないのが家庭菜園ならではの楽しさと言ってもいいでしょう(無責任)
端から見たら地味極まりない畑、と言うかスベリヒユが原因で放置された、迷惑極まりない畑、単なる荒れ地、に見えても仕方ありません。
よく見ればスベリヒユ「しか」生えていないという時点で、意図的にやっていると気が付いてもらいたいものですが。
本当にスベリヒユが雑草という先入観は厄介です。誠に遺憾である。