障害基礎年金から生活保護に至る舗装された道 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

何はともあれ親の目の黒いうちは生活保護の申請すら出来ないと思う。そもそも持ち家に住んでいる時点で却下である。

だから生活保護を考えるならば親がいなくなって、自宅を管理しきれなくなってなおかつ親の遺産を食い潰すという条件を満たさねばならない。

何はなくとも障害基礎年金は申請が通っているので、定期的に診断書を出したり申請さえ忘れなければ今のところ何とかなる。

問題はいずれ生じる親の喪失と、障害厚生年金は支給されていないから年金の額が心許ないことである。

インフレーションとかスタグフレーションが長期化すれば本当にピンチだが、そこさえ何とかすればまだどうにかなる。自分は手出しできませんが。

朝起きて畑の手入れをして作業所に行き、終わったらまた畑の手入れをして夜はパソコンをいじりながら過ごす。

特に娯楽という娯楽もないし、もう田舎なので娯楽もろくにないから家の敷地で一人でできる趣味を極めるしかない。その方が性格にも合っている。

人と会わなければ交際費とか社交費も一切考慮せずに暮らせる。私のことだけを心配さえすれば何とかなるような生活状態にしておきたい。

食費、インフラ費、畑を耕す最低限の設備投資、適度なパソコンとスマホ、あとは楽器や書籍は腐るほどあるので腐った(壊れた)時の修理費、

車はいずれ維持できなくなるから原付か自転車に乗り換えなければならないだろう。免許はまだ身分証明として必要であるから返納はしない。

それと持ち家の固定資産税、他の税と言えばガソリン税と消費税しか払ってないような収入なので税収を求めるなら間違っている。

要は家と楽器があること以外、実に生活保護に近い状況で過ごす運命にある。

別に知り合いの誰かに救ってくれとは言わない。その人間関係が病の元である。

人にお金を貰うことで負い目と弱みを晒す、という返せない物を延々と抱えるなら、感情のない制度に抱えてもらった方が精神的には気楽である。

感情に訴えることをすれば私の感情に何かヒビが入る。人間関係を維持するにも精神的なコストがかかるから、広がる程維持できなくなる。

孤独死は何か忌避されるが、孤独死をせざるを得ない精神状態の人もいるのである。なんなら機械やAIで管理してくれ、そこだけ。

玄関や冷蔵庫、トイレの扉が数日間開かなければ必要な機関(人間関係がなければ行きつけの福祉施設とか)に機械から機械的に連絡が行くとか、

これだけITが発達したのだから、なんかそういうアプリとか機械とかAIとかないですか。

孤独死が厄介なのは死んでから腐敗しても、外から見てどう見ても怪しくならないと通報もなく遺体が見つけてもらえないことなので、

一人暮らしでも何かあれば見つけられる設備投資くらいはこの少子化・非婚化の時代、嫌でも一人になる時代、考慮しておかねばならないだろう。

というか若くても一人暮らしで何かあれば死にます。例外はありません。たまたま死ななかっただけです、と私は思いたい。

それは高収入だろうと生活保護だろうと何ら変わりはありません。死の前に人間はあまりにも無力です。メメントモリ。

死に際さえ何とかすれば人なんて呼ばないし来させないし、いくら貧しくても一人ですることは、しなければならないことは沢山あるから、

一人が暇でつまらないというのは先入観というかレッテルというか一人という状態の活用方法を知らない人の言葉だ、と思うわけである。

大凡外に出かけず、通販含む大きな買い物もしなければ、そこまでお金がポロポロこぼれることもないだろう。

遊興費とか酒やタバコや博打など、こぼれるようなことをしているからこぼれるのである。

生活保護に陥る前に死ぬか。陥って死ぬか。私に残された道はそのようなものである。

少なくとも親戚に負い目は作りたくない。私の存在自体が負い目だから。誠に遺憾である。