政治をコマーシャルに利用する連中に大抵ロクな奴はいない。票を集める前に如何に自分に視線を集めるかを考えるからである。
その結果がなんか成人向けの選挙ポスターですよ。
公序良俗とか風紀とか何とかかんとか、政治は、選挙は娯楽ではない。
自分から倫理観を下げて倫理観が下がっている、誠に嘆かわしい、とか言うようなもので、開いた口が塞がらない。
なんかある政党が選挙候補者のポスターを貼る場所に同じポスターを沢山貼って、場所を占拠している時点で既に手遅れだとは思っていた。
そことは別の候補が別に目立とうとしなくても勝手に目立つようなポスターを貼る。
田舎ではまず起こらないようなことである。多分言語道断とか言われて即目立たない内に却下されるか剥がされるかするだろう。
東京だから、人の目を集め、剥がされると注目され剥がされるその瞬間も娯楽になり得るのである。
政治とは、選挙とは民度のバロメーターである。ロクな政治が行われてなかったり、道徳が不貞であると本当に嘆かわしい事しか起こらない。
何も報道しないで粛々と選挙だけ黙々とやれないのか、とは思う。
ウチの田舎の選挙区が特に盛り上がることも目立つこともなく滞りなく終わるように。
悪趣味な物を見せられる為に選挙をやっている訳ではない。なぜ俺がこんなものを見なきゃならん、と憤りたくもなる。
なんなら不埒な奴は謙虚に検挙されて欲しいものである、などと不謹慎なことを思う。
目立つような奴に限って悪足掻きをするのである、同じポスターを貼りまくる政党の全歴史を振り返れば徹底的にろくな事をしていないように。
あれで国会の議席を一つでも獲れたのが今となっては不思議な話である。
もうF1でいうところのアンドレアモーダみたいな扱いになってしまえばいいのに。
そりゃあ大政党の組織的な政党の運営とか選挙戦略に不満がないわけではないし、同じ政党の世襲とかタレント候補とかも正直どうかと思うし、
結局はある程度の組織力がないと政治自体が成立しないのは分かっているが、
だからと言って法のギリギリを攻めるチキンレースをしていいわけではない。
そうしないと戦えないというのは、常に奇襲戦法しかとれない、真っ正面からの力勝負が出来るような状態ではないと自白しているようなものである。
なんか急に変わったちょっと奇妙なことを話し出す候補に、風穴を開けるという意味で一回だけ乗ってみるというのも有りだとは思う。
しかし時が経っても全く変わらない奇妙なことを、本当に同じように話していたら奇妙奇天烈である。
その時あんなことをしなければ、と嘆けば投票先は変えられる。変わらない、変われないのは候補者の立場と風格だけである。
恥だと分かっていても恥である戦法を取らざるを得ないのは本物の恥さらしか、人間性の敗北である。知性の敗北でもある。
人間性に求められるのは冷徹に、眉を動かすことなく冷静に蹴り落とすことである。誠に嘆かわしく、そして遺憾である。
もう、東京狂った街、狂った夢、BabyBabyと言うしかない。本当に遺憾である。