孤独な発達障害者の夢想 | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

政治的な主張というのは話すのも聞くのもとても疲れる。主に精神的に。特に思想が合わない話を聞かされると特に効く。

こんな奴でも若い頃とかとても左側に偏っていたりしました。マルクスとかエンゲルスとかレーニンとか毛沢東とか今でも本棚に貯蔵してます。

そしてもうちょっと育ってから右側に偏ってしばらく拗らせて最終的に何もかも面倒になりました。中道、日和見主義すらとても面倒な話である。

それと同時に政治的な話をするのをなるべく止めるようにしました。理由は最初に書いたとおりです。

政治的な主張というのは100%噛み合うなんて本当に稀で、どうしても譲れない部分とかあると完全に喧嘩腰になってしまいます。

そうなると人間的に取り返しのきかない事柄ばかりになってどこか出禁にされそうなので、

政治的な話をする最初から何も噛み合うことはなかったので世間をぶん投げて逃げたくなりましたが、

最終的に政治をぶん投げてしまいたくなる心境に陥ったので勝手に仏教とか禅の話に進んでいきました。多分何も仏教をわかっていませんが。

それでも左側に偏っていたときからもう原始仏教や老荘思想とか墨子とかには触れていたので、

もともと大勢の前にはそんなに前に出られるようなタイプではないと思います。選挙だけは欠かさず行きましたが政治活動なんてそれくらいです。

棘のある思想とか掲げているだけで精神的に誰かか何かにぶつからないと収まらなくなるので、

実際とても面倒なことになったが、ぶっちゃけ昔の自分が患った「ミリオタの左翼」って一体どういう存在に値するのでしょうかね。

小林多喜二の小説に書いてあることをもっと尖らせて拗らせた存在になっていくのであろうか。

『蟹工船』みたいな劣悪な環境であれば何かの弾みで勝手に動いていただろう。

今は感情的な、衝動的なデモみたいなのは何か勝手に忌避されるようになりましたが、代わりにとても白けるようになって、

動いても動かなくてもなんか閉塞感があるのに変わりはないじゃないか、などと思うのであります。自力では政治的に動きたくないですが。

もう思想的に誰かの、何かの巻き添えにされるのは嫌なのでとにかく独りになりたい。

『1984』みたいな社会なんて金輪際ご勘弁、監視社会なんてくそ食らえと思いながら。

一人で誰にも話さなければスターリンだろうとヒトラーだろうと誰か独裁者の本だろうと、時代背景を学ぶための極端な読書を行うことが出来る。

逆にいうと人に知られるには余りにも怪しすぎるものばかり集めてしまったので、独りでないと反芻も出来なくなっている。

人を自分の部屋に入れることはまずあり得ないだろうけれど、本棚をチラ見されて、

仏教とニーチェとキリスト教とマルクス主義と韓非子と老荘思想と儒家思想が一つの本棚に収められているのを怪しまれない方が不思議な話である。

ついでにショーペンハウアーをひとつまみすればもう何かを拗らせた存在なのは間違いないだろう。

そしてその横に自分が発達障害の診断を受けてからかき集めた発達障害、自閉症スペクトラムの専門書が並べられているのである。

最後にここ最近始めた俳句とか短歌の本、万葉集とか新古今和歌集とか、正岡子規とか江戸時代の俳句、川柳本とかが詰めてある。

本当に自分って何者なのかと自分でも思う。

もはやこいつ一体何者なのかと思われて縁を切られても一切不思議ではない。誠に遺憾である。