画像生成AIがあるから英語と格闘する | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

画像生成AIに絵を描いてもらう場合に、プロンプト書き込めば勝手に良い絵を出してくれるとか思っているならそれは間違いなんじゃ。

弛まない研鑽と環境の構築がないとドル払いで有料サービスに頼るしか活路は見出せない。

それが画像生成AIの世界であります。

特にプログラム、Pythonの知識がまるでないやつが生成AIに取り掛かろうなんてのが間違いなのである。

自分の事ですが。


今日もスライダーでも作ってみようかと思ったら全然うまくいかず、やむを得ず外に出て農園の緑をじっと眺めていました。

プログラムは英語で充満されているみたいな環境なんですよ。結局は誰でもある程度学んでいる英語がメインになる。

何か新しい画像生成AIの技術が出来たとして、説明からすでに全文英語で(たまに人数の関係で中国語)訳もなく文章を投げつけられるので、

一日英語と格闘して、出力される画像がなんかよくなったとか悪くなったとか、

もうちょっと真剣に英語やっとけばよかったなどと英検3級程度の人間は思います。

IT関連の仕事もしたことがないから、パソコンのハードウェアには詳しくても中身のプログラム言語には全く詳しくありません。

やっぱり生活する上で必要性がなければ言語なんて学びません。

今はGoogle翻訳とかAIに聞いて何とかしてもらえますが、そこに到達するまで辞書と教科書と格闘しながら覚えていくしかありません。

英語分からんけど英語の読みたい本がある、とか、通訳でも仕事にしたいとか、洋楽で何を言っているか理解したい、とかなら需要はあるだろうが、

それでなければ自力で書いたり読んだり、泣いたり笑ったりできなくされながら、何とかする。

しかし難解な、分厚い哲学書でもかなりの程度は日本語に翻訳できる人員が揃っていたりもするので、

本当に小さな国とかまず現地の言葉で訳した本がないから、哲学をするには英語を学習しておかなければ翻訳本すら出ない、というのは訳が違います。

ある意味どんな本でも日本語になっている、翻訳されているのが英語を遠ざけているのかもしれない。

そのとばっちりを勝手にくらっているのが、今まさに生成AIでプログラム言語と格闘している自分なのであります。

誠に遺憾である。