家の近くでも家庭菜園のシーズンになると家々の人が苗を買いにホームセンターや苗売りのところに出かけたり、
雪で埋もれて荒れた庭をひっくり返す作業に追われたりして、今時期はようやく土作りが一段落ついて種と苗を配置するのも落ち着く頃であるが、
それにしても土作りから苗を配置するまで極力一人で終わらせたいものですねと思いました。
何処かから夫婦であろうか、土の掘りかた、耕し方であれこれ言い合いをしていたり、
土をおこしていたら近くの人から常に説教を食らいながら耕すなんて生きている気がしない。
土とは、植物とは、庭園とは、家庭菜園とは、一人で耕し、一人で植え、一人で手入れをし、一人で収穫して、枯れたら一人で埋めるものである。
成功しても失敗しても自己責任でいいから、極力一人で出来る限りのことはしたい。
植物テロだけはやらかさないように。それをしてしまえば一人で終わるようなことには決してならないし、本当に他人に迷惑をかけてしまう。
土をおこす時、苗を植えて水をやるとき、静かで穏やかな時間が流れていなければならない。あれこれ言いながらやるのは植物に失礼(?)である。
追肥や草取りなど、適度に(全力ではなく)管理運営した上で、秩序ある緑の前に立ち、あるいは座り、そこに佇んで癒やされることができる。
そういう空間、静かに土を耕して手入れをして一人で没頭したい、という人間には、
人の声とか、誰かの話や忠告とか、そんなものを聞くために菜園やってるわけじゃないですから、と言いたくなってしまう。
アパートに住んで土地のない頃は、福祉施設の手配した農園とかにお邪魔したり、適宜プランターに苗を植えていたが、
近くに人がいると落ち着かないから、人がいない時間を見計らって農園に行っていたものである。
別に何か収穫するに越したことはないが、別に収穫だけが菜園の目的ではない。生えている草を、苗を見つめるだけ私には癒やしになる。
ぼんやりとそこにある草花を眺めているだけなのに誰かに話しかけられるなんて想定しない。人と話すために菜園をやっているわけではない。
農園、自家栽培というのはあくまで一人でやる自己の魂の救済、と言えば言い過ぎだが、
一時間あるとするならば十分水をやって十分手入れをしてあとは単に緑を見つめるだけの癒しの時間にしておきたい。人なんて気にしたくない。
広場に人の声を聞きに行くとか、娯楽施設に行くよりも私には癒やしになる。別に植物は話したり語りかけられたりしないから、私には安らぎである。
朝に起きて植物に水をやりに行って、そのままじっと緑を見つめて仕事などで家を出る直前まで戻らないのは私にはよくあることである。
一人で耕すのは当然一人分の農園だし、他の畑に手出しもしない。別に他人にも見えるけれども、自分の植えた場所は私の領域にしておきたい。
私の(秘密ではない)秘密の花園、のようなものである。そして鳥や虫や獣の場所である。食べられるものが食べられるならそれが自然である。
全滅はさすがに困りますが、適度なら動物が食べたり、あるいは植物の病気が持って行ってもいいと私は思っている。
農業という仕事をして食べて、生きている訳でもないから、そこにある自然が全部自分の物だと思うのは単なる驕りである。
なんだかんだで自分の食べられる分だけを収穫して残りは地に返し、秋を迎えて植物が枯れたら適切に切ったりして、土にすきこむ。
球根など降雪、凍結に耐えられるもの以外を引っこ抜いて袋や箱にしまってまた来年に備える。
何時までできるかはわからないが身体が動く内はできる限り続けたい。いずれ地に還るその時まで。
緑は私にとってじっと見つめるための癒やしだからである。何ならその辺の草を雑に切り取って発芽させて冬に室内でじっと見つめるだけでいい。
冬は真っ白な雪に覆われて凍り付き、草なんて生える余地もないから、簡単に生える雑草(雑草という草はないが)を家で眺めて過ごせるならそうしたい。
まあ、食べられるものと食べられないものはちゃんと分かっている人に判別してもらって完全に分離して管理しましょう、とだけは言いたい。
さすがに他人様の土地でも、食用の苗と決めている場所に有毒な植物が混じっていれば、遠まわしに何かを伝えなければいけないだろう。
ギョウジャニンニクとイヌサフランを間違って食べてしまって毒で死亡した、という話を数日前に聞いたばかりである。
いくら厳密な管理や運営をしない、と言っても、有毒なもの(観賞用)と収穫するもの(食用)は鑑定して完全分離するのが私の定めである。
そこを気楽にやるためにも、一人で全部やり切れるためにも、自分の鑑定眼は育てなければいけないし、
可能な限り野の色々なものを見て見聞を広め、目利きができるようにして自己管理して、納得のいくものだけ埋めておく。
それが無意識にできて流れるように、自然に分けられるようになれば、私としては癒やしをさらに極めることができるだろう。
現在?お察し下さい。誠に遺憾である。