障害者差別というか罵詈雑言を吐かれたりするのはよくある事である。あってはならないが実によくある事である。
ただし暴言を吐くのは健常者も障害者もどちらの立場もやる、というのが一番タチが悪い。
飛行機に乗るのに何も伝えないで行った下半身不随の人だったり、駅(無人)についてから急にヘルパーを求め出す車椅子の人だったり、
レストランの階段でもめた腕と脚のない人であったり、何かと自分を棚に上げる人が、助けてもらって当然だと思える人が私は怖い。
何もなければ距離をとって関わらないようにする、という人が出るのも仕方のない体たらくである。
そういう自分も全く空気が読めないからとても申し訳なく思うが、瞬時に振られた対応とか用意していない対応を出されると、
自閉症スペクトラムのテンプレ通りにパニックに陥ったりフリーズして完全に止まったりするので全く人の事は言えない。言わない方がいい。
そういう状況になるのは高等教育から特別支援学校に行ってしまい、軽度の身体を除いてほとんど障害者を視界に入れないようにする教育、
障害という構造が最初からなかったかのような扱いをする教育にも一因があるだろう。
まさか自分が、とは高校時代全く思わなかったが、よく考えれば発達障害感満載で行動していたのでわかる人は分かっていただろう。
発達障害、ではなくなんか変人がいる、という感覚で。別に変人であることを私は否定しないし、しても隠せない。
ただ変人具合が自分が思っていたより本当に酷かったという訳で、現状がある。
差別意識とか実際差別をしてはならないと言われてあれこれ教育されるが、実際に目にも意識にもしていないものをどう教育すればいいだろう。
そして社会人になってから、法定雇用率の関係で訳のわからないまま障害者をぶつけられるのである。
そんな普段あまり好きでもなければ経験したことのないものをぶつけられても対策なんてできないし、何なら専門家にぶん投げるしかない。
何なら障害者を名乗っている自分でもそうする。発達障害なんて実に個人差が大きくて、
一人か二人程度に当たったくらいで発達障害が理解できるようなことはない。
一回バラバラな発達障害者を一堂に会するような会議でもあれば、もう自分でも会議が踊るしかないと思っているので、
全く話が進まないという変な自信ならある。事情がわかっている当事者同士でも話がまとまらないのに健常者がわかった気になるのが最も危険である。
福祉専門家の管理者がいて、当事者同士のちゃんとしつらえた場、に集まって議題に則って話を進められるなら、まだ程度は軽い方だろう。
生活に支障を来しているので障害者であることは間違いないですが。
そこに来る許可が降りない程度なら、私でも、もうお察し下さいと言う。言うしかない。
本物は表には出て来れない。達人は保護されているというが、扱い方で困る達人が来ても何も出来ないししない方がいい。
そういう人々のいる施設に行って一日体験したくらいで障害をわかる、と言い張ることほど思い上がっていることはないだろうと思う。
私は全然わからん。わからんことだけはわかっている。誠に遺憾である。