仕事をして気が詰まっていた頃は、余暇なんて時間もろくに確保出来なかったから、
金がなくても適度に暇があるような生活の方が良いい、生き甲斐の作る暇もない生き方なんてうつ状態になって希死念慮とか以下省略。
一日やる事がなくてヒマなんて言っているのは時間を正しく使ってない、あるいは使い方がわからないのではないかと私は思う。
暇というのはやりたい事もないしやりたい事も見つからない、暇が出来ないより重大な怠惰である。
せっかく時間があるのに何にも使おうとしないなら寝ていた方がいいかもしれない。
お金がないと出来ない趣味ばかりあってお金がないのはどうしようもないし、時間がないと出来ない趣味ばかりあって時間がないのも辛いが、
時間だけあって何の余裕もないと感じたり、時間を潰すとしか考えられないようであれば、人生の短さでも嘆いていた方がいいかもしれない。
時間とは何だろうか。自我とは何か。私と他人とは何か。それくらいの事は考える必要があるだろう。
ダラダラ生きるのもそれはそれ、ですが、人間の人間たる所以を取り除いて一体何がしたいのですか、何ができるとお思いですか。
何か書く事で問題なんて解決は出来ないと思うが、それでも書かないでは済まされない。生きる為に書くことが必要、だからである。
私はずっとそうしてきた。ある時は大学ノートに、ある時はパソコンの電子データに、そして今はブログの片隅に。
別に大した成果なんて残した気にもなっていないし達成感とも無縁である。ある意味使命感だけで書いているとも言える。
しかしそれをしないと生きている気がしない。別に誰の為でもなく自己の為でしかないが、それでもしないといけない。
canとかmayではなく、mustとかshouldとかhave toみたいな扱いである。すべきと心に楔が打ち込まれているのである。
暇があるなら必ずこれをする、という訳でもないが暇があるなら、暇とゆとりがあるなら、私は文を書きに向かうし、
疲れていたり、何か心に悪い意味で引っかかるものがあれば向かわない。邪心なんて文章にすればたちまち恐ろしい悪心が出来上がる。
そんなもの誰にも読ませられない。ここの文章だってもう書きたい放題にやっているが、ネガティブな勢いに行きすぎないようにはしている。
いくら空気が読めなくても他人の目につくような場所に文章を置いて帰るのだから、節度や礼儀は欠かしてはならないし、
ピカレスクとかそういう雰囲気でゴリゴリ本心を悪目立ちするように書いても私は引くだけである。嗚呼心は醜いなんて書いても当たり前すぎる。
なのでもう少しだけ何か知らんけど生きているような微妙な感じを文章に出来るように努めたい。
偉い人の自己啓発とかは死ぬほど書かれてブックオフの本棚を埋め尽くしているので、それを別に私が書く必要もない。
何も成功していないのだから、達成した実感のないものなど書いてはならない。
私の文章というのは落ちるに落ちてもがき苦しみながら、むしろ完璧を目指してはいるけど決してそこには到達できないだろうと思って書かなければ、
私は落ち着いて、リラックスして文章を書けない。
これで下手に商売でもやっていたらそもそも商才なんて微塵もないのでどうにもならないが、人間的にトラブル山盛りでいつ焼かれてもおかしくない。
ちょうどこの間店舗経営の夫婦が焼かれて発見された事件が、なんかもう身内の人間関係のドロドロを極限まで積み重ねて嫌な臭いがするように、
本当に欲ばかり出して仕事なんてやってたらまず碌な目に遭わないだろう。世の中にはガチで働かない方がいい人間というのがいるのです。
それが自分なのが一番の問題ですが。
下手な商売なんてやって下手に時間が潰されるより、金なんて稼がなくてもいいから、
とにかく自由だけあれば、金なんてなくても考えなければいけない事柄は山盛りなのである。
忙しさに文字通り忙殺されて、お金は積んだけれど人生の残り時間が詰んでいるとか本当に虚しさしか残らないじゃないですか。
金は命より重いと言われますが、金より重いものは実に沢山あるのです。誠に遺憾である。