周りの他人全員を見ている訳ではないが、食事の際にやけに咀嚼音が大きい人が結構増えてきて困る。
教養とか強要されて来なかったのか。小さい頃に食事のマナーとか最低限の規範を学ばなかったのか。
私は小さい頃家族や親戚(祖父母)に色々言われて学んで来たから箸とかちゃんと使えるしそれなりにルールやマナーについて学習出来た。
なお私の親とか見るも無惨なバッテン箸だったりしましたが、そこは見て見ないふりをしてきた。
障害者になって以来、細かなテーブルマナーを気にしなくてもいい場所にしか行かないから自分も大雑把になって来た自覚はあるが、
それでもなるべく食事に大きな音を出したくないしスープのすする音を出さないとか、口を開けながら物を食わないとかは異様に厳格に守る。
一人の時はマナーを気にする必要はないのでちょっと気を抜いて雑になるが、二人以上になればそれなりに気を配る。
なんか音が大きいと生活全般に影響するんですよね、と言っても分かってもらえるかどうか、というほど何をするにしても音の大きい人々がいて、
食事以外でも咳がやけに多いとか大きいとか呼吸音も喘息かと(なお自分も喘息になってしまいましたが)思うほどぜいぜいしたり、
「調子悪いなら帰ってくれない?咳とか万一新型コロナとか移されたら困るし」と言えるものなら言ってしまいたい。
それからあれこれガッチャガッチャやって物音を立てまくったり(まあ私も多動な方なので人の事は全く言えたものではないですが)
妙に他人に話しかけて特にどうでもいい愚痴も周りに振り回したり文句や不満ばかり周囲にこぼしてノンストップだったり、
閑さや岩にしみ入る蝉の声、という俳句の気持ちなど永遠に分かるまい。
そんなこんなで四六時中うるさい人に囲まれて、食事くらいは暗い事を考えずに、心静かにリラックスして食べたいのだが、
世の中そんなに甘くない。私が一体何をしたというのか。時に「クチャラー」という発音の一つ一つに濁音がつく程度のクチャラーに遭遇するから、
食事中もなんか落ち着かないし、家でも最近は親も年老いたのか、自分の咀嚼音を気にしなくなって来たから心が休まらない。
誰か注意とか指導とか何とかしてくれないかな、私が突っ込んでも心底腹が立つのがすぐ顔に出るのですぐに喧嘩になるだろう。
毎日騒動や喧嘩なんてしていたら私が追い出されかねない。単に静かに過ごしたいと願うことの何と難しい事であろうか。
もっとこう、食事というのは静かに、救われた感じでいなければならないんです。私の中では。
それが出来ないなら孤食させてくれ、トイレとかに行かなくていいよう完全分離してくれ、と心の中で叫びながら食事をしている。
誠に遺憾である。