政治の話は実にうるさい。
そして日常会話では政治の話をしてはいけない。
作業所でもそう言われている。
論理的にじゃあどこなら政治の話をしていいのか、という事になる。
もう結社でも組んで内密にお話をする事でしか政治の話ができないのであれば、
政治の存在意義とは一体何でしょう、ということになってしまうだろう。
欧米とかなら政党の集会に出かけたり、SNSに投稿したり、何らかの政治活動を一個人が積極的に出向いて行う、というイメージがどこかにある。
政治とは信念であり信条であり、自己の表現活動、自己実現活動であるのかもしれない。
しかるに我が国では政治とはなんか別の世界の出来事のようなものであり、
おいそれと参加する事も参加する方法もなかなか見つからず、動くのは何がなんだか分からない奇怪な主張をする政党の人間ばかり、
そもそも選挙でもなければ政治家の話を直接聴きに行くイメージもないようなのに、
どう政治の話をして政治に参加すればよいのでしょう、という気にはなる。
結果として普通の人ができるのは選挙の時に投票に行く、こと以外本当にすることがない。
参加する体制も制度も実感もないのに、選挙をすれば投票率が低いだの何だのと言われるのは、
政治としてやっている事が大いに矛盾していないですか、政治に参加する手立てもないのに、どう関心を持つ事が出来るのですか、と。
政治に参加するにはそれぞれの心に根をもつこと、関心から信念へと進む根を下ろさねばならない。
それをしないで選挙にだけは来てくださいとか、何と都合のいい物言いなのだろうか。
一番肝心な事をさせるのに、目的までの過程をすっ飛ばしておいて、急に参加しろ、と言われてもどう参加すればいいのかも、
参加する気になれるのかも分からないのに、何を求めて何を得ようというのか。
日常から政治を遠ざけるならば当然あらゆる意味で遠ざかっていくだろう。
あるスポーツのルールもわかっていないのに、そのスポーツのチームのファンの活動なんて出来ないように。
もっとも熱心になり過ぎてフーリガンみたいになっても困るのですが。誠に遺憾である。