なんかその辺の田んぼとか鳥よけの禍々しい色をした風船みたいな物体が吊るしてあったじゃないですか。
街中でも防犯の観念上「お前を見ている」みたいな人の目を印刷したポスターとか立て看板とかその辺に突っ立っているじゃないですか。
今はこう、監視カメラが人の目と同様の威力を持っていることが金の茶碗を盗んだやつのおかげで充分に知れ渡ったじゃないですか。
基本的に人の視線というのは人間を恐縮させるものであって、
それは別に人の感情が読めない、空気が読めない、社会性がないと謳われる人間でも特に変わりはないだろうと思う。
かつて一人暮らしをしていた人が都合上人と暮らさなければいけなくなって、生活スタイルを他人に合わせるのと、
何かをしていても人の目が妙に気になることが引っ越しをして数年経っても未だに落ち着かない。
都会なら隣の人なんて特に気にして生活したら人の目が多すぎて精神がもたないから、
近所の人付き合いとか形骸化した挨拶ぐらいしかしないようにしていたが、
田舎だと人と家が少ないし固定化されて誰かに見つめられているという恐怖心が拭えない。
ちょっと近くに出れば「ああ、あなたこの間ここにいましたよね」とか話しかけられるレベルだともう一回引っ越しを検討しなければならない。
見つめられているというのは、他人を一回恐れた人は時折本当に恐ろしい感覚を味わうものである。
特に「見ている」という意識がその近所の人になかったとしても「そこにいた事を見られている」と言われるのは思うより恐怖である。
人間離れしたい、というのはそういう視線を全部リセットしたい、という意味でもある。
明らかに故郷に泥を塗った上で生活してきた人間には後ろめたいことこの上ない。
主治医だけ故郷の医師を頼って、それ以外の生活基盤を本当に塗り替えてしまいたい、という衝動に駆られる事も一度や二度ではない。
だったら引っ越したらいいだろう、と言われるが作業所勤めの人間の行ける場所って一体どこですか。
家というか部屋だけ貸し出して生存報告をすればあとは自由、くらいの扱いでないと、
グループホームなんて人が多くておちおち安心も出来ない。施設内で対人がらみのトラブルを起こして居室に引きこもるのが関の山である。
それ以上の環境なんてワンルームでも借りられるかということからして怪しいが、
かと言って公営住宅に入ったら今度は普通の住宅より町内会又は自治会が生活に踏み込んでくるので、いつ何をやらされるのか気が気でなくなる。
朝から仕事を除いて晩まで、一人かあるいは一人と見なされる状態が確保できなければ、
私の精神的安全は何ら確保できない。人の目が気になって動けないし、なんなら部屋から出たくない。
自由であるとは、人に関わる自由もあれば関わられない自由も、関わられる自由もあるわけで、
私は仕事でもなければ特に構う理由もないのでそれ以外全部一人にしてくれ、一人である自由を満喫して過ごしたい、と思うが、
どうやら世間ではコミュニケーションを取り合う方が自由らしい。そういうのは過ぎたお節介と私の中では呼んでいる。誠に遺憾である。