脚をやられると立っているのが辛くなるが貧乏である | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

別に生まれた時から発達障害を抱えているなんて日常に溶け込み当たり前過ぎて時々忘れてしまうが、

歳をとってから精神にではなく身体に直接ガタが来るととても辛い。

特に股関節とか膝をやられると公共交通機関によっては座れなかったら根性勝負になる。

関節痛は酷いが継続的に病院に通わなければならないわけでもなく、

特に目に見える様に怪我はしていないので優先席は自分以外の人のものである。

これでなんとかしなければと思うとあとはヘルプマークをくっつけて歩くしかないが、

どちらかと言えばヘルプマークの記入欄に書かねばならぬことは発達障害のことばかりになるだろう。

客観的に見て手帳をもらう程度の障害と特に診断名もない関節痛とどちらが優先されるかなんて明白ではなかろうか。

ただ現実的には関節はとても痛い。こんなんで長期間移動するなら関節にテーピングだのコーピングだの外科的な治療でもしなければいけない。

しかしそんな金はない。継続的に通院して、継続的な治療を受けようにも、年金ぐらいで一体何をしようというのか。

もはやこれまで、と生活保護でも頼るしかないが今度は車がなくなって通院できなくなる。タクシーなんて料金を考えると目眩がする。

その程度の田舎に住んでいるので、ある程度の生活基盤がなければどん底まっしぐらであるし、生活の構造を変化させるには、

自分の精神はあまりにも貧弱、脆弱で仕事をした方が人に迷惑をかける。

怪我をしても迂闊に治療もできなければ、きっと車椅子を調達した方が楽と思う。

こんな精神状態で生活保護とか受けても後ろめたさでそのまま破滅に向かっていくしかない。

歩けなくなったら本当に車椅子を検討するしかないが、とりあえず玄関の段差をどうしよう。

誠に遺憾である。