前住んでいた街では色々な公共交通機関の減免を受けてきたが、JRだけは何もなく普通に料金をチャージして乗り込んでいたので、
わざわざちょっと遠回りしてでも減免できる公共交通機関で目的地に向かった事もある。
私は別に行動制限もなければ付き添いもいない、何なら付き添いの人に気を遣わせるなら単独行動をして過ごしたい。
鎖の切れた狂犬、といえばそうなのかもしれないが、基本他人に囲まれさえしなければ一応は何とかなる。
車内で独り言を撒き散らすわけでもないし、車内を不規則に動いたりはしないし、
むしろそういう人を多分障害者なんだろう、などと自分の事を完全に棚に上げながら温かい目で見ている。
自分に視線が向いてきませんように、と。何という思い上がりだろう。
私の障害は対人関係の障害であるから、会話しない限り、機械相手、ルール相手なら目立つ不具合はない。
目立たない不具合も後ろに山ほど抱えていますが、基本、会話を強制されない限り人を避けながらフルパワーで突破する。
交渉とか必要ない乗り物に乗って(だからタクシーはなるべく乗りたくない)乗車券の機械とだけ向き合えば、
いくら割高になろうとも構わないから、とにかく人と関わらないで全部終わるような手続きを望んでいる。
というかこういう制度が必要なのは精神的な持病で車を運転できない人であろう。
つまりはてんかんとか鬱の通院とか精神的な病の定期検査で障害ゆえに車も運転できず、
やむなく遠くの大きな病院に出かけなければいけない場合とか。
本当なら近くの作業所に通所するのに移動機関がJRしかない人のためにとか、
そういうもっと生活に近い割引制度を導入してほしいとは思う。
工賃の結構な部分が公共交通機関の運賃に消えるとしたら人生虚しくなりませんか。
それならガソリンに減免をかけて覚悟の上で車に乗りたくもなる。
家から公共交通機関でピンポイントで目的地に行けないような場所ならそもそも車しかない。
電車やバスに乗るより車に乗って運転する方が格段に危険だと思うんですけどね。
でも場所によっては一時間に一回電車が来ればましな方、しかもそこから更に別の公共交通機関が必要、みたいな場所もあるので、
そんなところで割引の条件である片道100km以上移動するとしたら、おちおち帰ってこれなくなるんですけどね!
一体100km以上というのはどんな判断だ。無理矢理に新幹線でも乗れというのだろうか。
割引されるのはいいのだが、生活に関係ない長距離の運賃だけ割引されても、
普段の病院・福祉施設・作業所への移動のために使えないのでは一体何のための割引なのだろうか。
100km以上先に用事があるなんておおよそ観光地か帰省ぐらいだろう。
100kmも進んだら運賃も相当なものだから、わざわざ割引がきくだけのためにそんな距離を走りたくもない。
どうして一ヶ月の移動で(自宅から作業所などの生活に必要な場所だけ計算して)合計100km、とかにならないのだろうか。
どうすれば使えるか首をひねらないといけない割引制度を提示されても、本当にどうしようもない。
そもそも田舎だと減便とか、廃線とか真面目に頭の中に引っかかるから、どうやってもJR、鉄道が選択に入らない場所もあるんですけどね。
誠に遺憾である。