別に家にいても一人になった方がいいのはきっと言うまでもない事なのだろうが、
外に出たら人と行動すると不満たらたらになるので一人で行動しなければならない。それが奇行の主人の定めである。
常識的な、外出した時に普通にやる事、では私は満足しない。買い物に行っても何か変なものが売り出したりしていないか、
それをためらいなく買えるかは人がいない事が何よりも重要である。人はためらいの原因であるどころか、行動を制止しかねない。
別に買っても自分だけが処理するのだからあなた方には何の迷惑もかからないでしょうに、なぜ止めないといけないのか、
と思うので自分は他人を止めない。行くところまで行ってしまえ、と思う。そこから先は自分も他人も等しく自己責任が原則である。
旅行でもツアーになるとどうしてもある程度の人数が一気に動くから、見落としとか行方不明があってはならないから行動が制限される。
ツアーでなくても少人数でも、家族旅行でも、話は何も変わらない。
のんびり行くあてもなく写真を撮ることが日課なのに、人の群れから離れられなければ撮るものも撮れない。
一人で動くことが宿命のような人間には団体行動は鎖のようなものである。
私の行動の半分は衝動でできている。残りの半分はごめんなさいでできている。
一人で動けば謝ることは何もないが、人と動けばどんどん要求不満が高まり結果として衝動的に行動して謝ることになる。
最初から一人にしておけば誰にも謝る必要もないのに。何故人は人をくっつけたがるのだろう。
その辺の公園か自然の中で危険が及ばない程度に人のいない写真を撮って帰るのが自分の任務である。
団体になればそんなことはできなくなるのが明白であり、もう割高料金を払っていいから、進んで払うから一人にしてくれないと困る。
ついでに言うと部屋も一人でないと困る。家でも見たくもないジャンルのテレビ番組をつけられて、精神的に危機に陥ったり、
冷房の温度で喧嘩をしなければならなくなったり、とにかく折衝しなければならない事が多すぎて余計に疲れる。
いつでもどこでもなるべく誰の視線からも外れておかなければ、心置きなく活動することは不可能である。
誰かの庇護の元でないと暮らせないのは誠に遺憾であるが、それでも一人にしておける権利というのは常に訴えかけておかねばならない。