他人にいう悪口で一番先に出てくるのは自分が一番言われたくない事だとまことしやかに言われる世の中、
皆様方におかれましては日々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
人の悪評とか悪口とか中傷とか一体何のために言うのかなどと私は思う。
仕事上の素行の身に余るやつは上の肩書きの人と相談して今後の身のふりを決めるが、
仲間内で毒を吐きあって本当に一切何のためにもならないと思うからそういう集まりには参加しない。
多分裏で私も何か言われているでしょう。自分の素行がいいなんて口が曲がったり裂けたりしても言えないので。
むしろ素行が極めて悪いから人のことなんて言えない、という立場にいると思って行動している。
素行が悪いというのは発達障害由来の、空気が読めない、社交性が皆無、ものすごく無愛想、規則万能主義者であること、
考え方の融通が効かない、思考の柔軟性がない、一回走り出したら行動にブレーキが効かない、等々、
まず「高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に行動すること」は出来ないと思っていいので、
本当に始末に負えないから自分からは動き出さないことにして身を守っている。自発的に動けば大抵ろくな事にならないから。
静かで必要なことも喋らない人、と言われるのと、騒がしくて節操のない人、と言われるのと、どちらが人間性があると思いますか。
他人に会わなければ何かを言う必要がないから一人きりにしようと行動する、まで入れて、
やっと静かで平穏な生活が送れるのである。他人を間に入れるなんてプライベートでは極力考えたくもない。
当然電話やLINEなど連絡される事もまったく考えていない。ゲームをする以外の機能なんてあっても使いたくないから、
通話、連絡機能だけ禁止になった通信機能だけの新しいSIMカードに似た何かが出来ないかと考える。
私の思考の中で余計なことを言わないように人間を余計にするしかない。
認知症や行動障害で一人で暮らせなくなったらもうどうしようもないから観念するが、そうでなければどう生きているのかわからないように生きたい。
誰か人があればよくない思い出だの被害談など聞かされたくもない話を始めてとまらないので、
そういう話は協調性があって共感できる人に振ってくれませんか、とは思う。自分にはその二つは欠如しているものであるから。
話題が噛み合わない限り、機械か人形かオブジェクトと話しているようなものですが、それ本当に面白いですか、とは言いたくなる。
話題が合わない限り、私が頭の中で思っているのは「はいはいわかったからこの話一刻でも早く終わらないかな」という事ばかりである。
誠に遺憾である。