普通発達障害、自閉症スペクトラムと言われると毎日同じ事をしなければ気が済まないと言われる。
でも食事に関しては毎日同じものを食べるのは本当に限られたもの、
病的に好きなココナッツの菓子以外はなるべく違うものを食べて過ごしたい。
逆に毎日同じ様に違うことをしなければならないというこだわりがあるので自分が料理をするとワンパターンから簡単に脱却できます。
私のデータベースから適当に引っ張り出した料理が勘で展開されます。他人の好みは一切考慮しませんし、したこともありません。
自他共にアレルギーだけは自分がアレルギー体質なので気を配りますが、他人に出す事を考えた時にアレルギーとトラウマなもの以外は考慮しません。
私自身タラコを食べるとアナフィラキシーショックを起こすので味見すらできません。
白身魚はなにがアレルギー的に当たりなのかわからないので名前が公表されていない「白身魚」は買えません。すり身とか。
茄子を食べれば口の中で痒さが爆発するので他人に食わす時は勘で作らざるを得ません。
アレルギー以外の単純な好き嫌いは無いですがアレルゲンが多いので実質食べられるものは思うより多くありません。
ただしアレルギー以外はフリーダムなので、自分は平気だが他の人にはダメなものを勝手に使い出して新たな苦手なものを作るかもしれません。
それくらい自分に対して適当に、不規則に、経験に基づいた結果をランダムに組み合わせた料理を自分に食わせるという暴挙に出ます。
配慮という言葉は自分の辞書に載ってないから、死なない程度の最小限の配慮しかしません。
結果自分にも他人にも厳しい料理の山が築かれる事になるのです。
だが、それはそれで楽しいので、酷いものを食わされようと私は自業自得であるが苦ではない。
98パーセント自分で食う料理を自分で作るだけなので、見た目で勝手に他人につまみ食いされないような奇妙なものが暴挙で毎日生み出される。
残りの2パーセントは麺を茹でる時に袋に書いてある時間の通りに茹でた麺を食べて誰が死にますか、というぐらいの料理である。
黒焦げとか料理としての形を留めていない、とか食中毒案件ではなく微妙にずれた味の物体を出す。
ギリギリで味の素か水かお湯でもかければ大丈夫の範疇で気楽に料理をしている。
自分で生きる時に自分の食べるものくらい自作できないようではどう生きられるというのですか。
生きる事を楽しみとするならば生きる事に関わる工程に関しても可能な限りライフスタイルをDIYして組み立てる程度の気概は必要だろうと思う。
昔の知り合いとか何かあったらカップラーメンがあればいい、とか、
暇なら外食に行けばいい、自作なんて面倒、とか言っている他人の話を聞く度に遺憾に思ってきた。
誠に遺憾である。