何で一人になりたいか、それは人間が怖いから | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

今まで恥の多い人生を送ってきました。本当に恥まみれです。人様に合わす顔もありません。

本当にありませんので、人と合わないような生活環境を構築して引きこもれないか、

死んだら孤独死ですが後は野となれ山となれ、という単純な自己責任論で通させていただきたい。

山奥に庵でも築いて死んだら庵ごと取り壊せばいい、などと意味不明なうわ言が飛び出すのもいつものことです。

人と人の間に過ごしているなんて精神を砂やすりかサンダーでガーッとやるようなものである。

対人関係に不安がない人はこうはならないだろうと思う。というか普通に話をしていて違和感がなければ大丈夫である、と思う。

然るに私は発達障害である。正確に言えば自閉症スペクトラムである。障害の名前なんて要らないと言われても「重度のコミュ障」で通す。

そして自閉症スペクトラムと言わなくても普通に手軽な感覚で人間関係を拗らせて自分にも他人にも胃痛の種を作り、環境を崩壊させること数度、

これ人間と会わない方が自分や周囲にとって平和なんじゃないという結論に至るのは極めて自然ではなかろうかと思う。

人間関係はほとんど枷でしかなかった。果てしない労力をかけないと維持できないものと、ちょっとの手入れで簡単に維持できるものであれば、

簡単な方向に進むのは自明の理だろう。簡単、というよりは何もしない、という方向性ですが。

そして人間関係を崩壊させた上で最小限、福祉の関係者との繋がりを残して、あとはロスカットする如く全部切り落とした。

今故郷に住んでいますが知り合いはまずいません。いても本当に昔から通った店の店主とか、生活上行かなければならない場所の関係だけで、

同じ学校、職場、その他の地元の人間関係というものは死滅して久しい。年賀状なんてもう知らない。

これで田舎の住宅地に普通に住んでいるのである。

理由なんて親がいるから以外に何もない。自分は根無草のような軽薄な人間でしかない。

前にも書いたが過去は私を破滅させにくる災厄扱いである。

だが住んでいるのは過去に何かあった災厄の現場そのものである。時折無性に逃げ出したくなる。夜の帳の中に。

逃げたところで仲間など誰もいないが、いる方が確実に困る。

人間関係が嫌で家出したいなどと思うような人間に新たな人間関係や役割を持たせてはならない。

そういう意味では滅べ町内会とか言い出しかねないし、ゴミくらい自力で捨て場所を申請しに行くくらいしておかないと一人で暮らせない。

私が仕事以外で欲しいのは家の中でじっとしていることが許される権利である。

何なら玄関のインターホンすら要らない。全部不在票でも入れておけば後で保管場所まで自力で取りに行く。

あとはもう電話とか可能な限り放置しておける生活がしたくてたまらない。

別に多少生活が不便になろうと、人と会わないですむならその方がいいし、何より誰も来ない事で精神的に安心できる。

必要な手続きは後でまとめてこなせばいい。

人間という泥に塗れることは誠に遺憾である。