基本的に自分は人の悪口を聞いたり話したりする度に何かと具合の悪くなる人間である。
感情のままに他人を批判するなんて出来るとは思わない。しない方がいいのは言うまでもないですが。
感情や好悪を前に出していいこと、プラスになることなんて私が感じる範囲内には見当たらない。
誰が好きで誰が嫌いか、どの様な感情を特定の個人に抱いているかは地獄まで持っていく。
少なくともベラベラと人前でする様なことではないし、まず言う資格もない。
人間的に欠陥がある人間が誰かを批判すれば倍返しの要領で自分に戻ってくると思っている。
同じ施設であれば、本当に困った時に、上の立場の人とマンツーマンでなければ批判について詳しく話もしないことだろう。
少なくともなんでもない人と他人の悪評なんて話をしたりしない。聞き流すことも出来なければ、何なら自分にダメージが行く。
嗚呼、この人はこの人に対してそういう感情を持っていたのか、と。自分も話す事で心が醜くなっているのか、と。
極限まで行けば、鬱というか精神的に追い詰められると判断も狂っているから、プレッシャーに負けて口を割ることはある。
ただ平静時の何でもない気分の時に、誰かに対する意見や批判的、感情的な話題は口にしない。
それをする事によって精神的に死にかねないからである。後でそれを言ったかと後悔したり、誰かに広まっていないだろうか、と気にしたり、
またアイツは適当な事を言ってる、とか思い過ごしだとは思うが口にしたということは広まる可能性がゼロではないという意味で苦痛である。
そして私以外の誰が人の悪口、というか問題点を指摘するたびに頭を心の中で抱える。
また知りたくもない事を知ってしまった、と。別に聞かなければいいじゃない、とか思うかもしれないが、
存在感が時々失われることでその場にいないような扱いになるのと、自分の発達障害に付き物の異常聴覚で音は何でも拾うので、
何も喋らない時は全ての音を拾う機械と化した上で流れをほぼ記憶する。
記憶の異常とは、別に何でもない事を勝手に記憶したり、情報の取捨選択ができないまま一塊りで全部記憶するとか、
全部の台詞を拾える訳ではないが(サヴァン症候群とかになると本当に全部拾ってしまう人もいる)要約ぐらいの記憶、記録ならできてしまう。
そしてその発言を脳内で広げて人間関係図をざっくりとまとめてしまえるのである。
そんな余計な能力は感情が不器用な人間にとって恐怖でしかない。何かの弾みで口にもしたくなくなるから、会話に混じりたくもない。
もっと大雑把に、もっと適当に、高田純二の適当さ加減で生きられるならそうした方が自分には楽だろうと思っている。
しかし記憶が、記録が私を追い詰めてくる。勝手に拾った情報の塊が。
ついでに自分が何を言ったかにも怯えているので、本来壁の隅でじっと出来るならそうした方がいい。
私にとって大勢の人の間にいることは大勢の人の感情と情報を勝手にぶつけられる、という事である。それはとても疲れる。摩耗する。
本当に静かな場所で誰かに干渉される事なく黙々と作業をして自給自足したい、というのは私の切なる願いである。
誠に遺憾である。