私は別に指名手配犯でもないけれども、極力過去のことに関しては伏せておきたい人間である。
自分が心療内科で「自閉症スペクトラム」と診断された後のことはそんなに漏れても困らないが、
診断される前のことを知られるとなると本当に困る。何が困るのかは漠然としすぎているが、
頭の中はqあwせdrftgyふじこlpとなることだけは間違いない。
過去は自分にとっては自分を抹殺しに来るものと思っている、と言っても過言ではない。
障害者であると認定される前と後とでは人脈も社会構成もやっていることも大きく異なっているから、
昔の面識のある人々には、今のこと、現状を知られたくもない。
同様に今の面識のある人々には、診断される前の過去のことに触れて欲しくない。
その知られたくない奴が実家に住んでいるのである。どうやって過去のことを言われないで生きて行けようか。
むしろ昔と変わらない場所に住んでいて避けてくださいなんて虫がよすぎる。
ひきこもりに徹しないととても達成できる課題ではない。
そんな奴でも親が年老いて、介護とか考えなければならない歳になってくると戻らざるを得ない。
もともと収入なんて大したこともないから。
普通に考えて落ちぶれに落ちぶれた奴が、過去と同じ地域社会におめおめと顔を出せるだろうか。
人生恥だらけである。聡どころの騒ぎではない。
何処かに行けばひょっこりと過去を知っている人間と出くわすだろう。
田舎だから家業というものがあるし、農家とかになれば簡単に家を離れるわけにもいかない。
別に自分は農家でもなんでもないが、自力で生活できないから実家に戻っている。
私の中では実家に戻ることが私の精神的健康的な意味で窮地である。
出来れば顔なんて知られたくないような場所に行きたいがそんなことを言う権利もない。
指名手配犯ではないが、自分の顔を知られないように、過去を知られないように、
昔のことなんて誰も知らないような場所で一人で静かに暮らしたい。
「幼なじみ」という概念なんて呪いである。
診断をされた後になれば、自己肯定感も低いので、まあよくもこんな恥さらしと思い出を作りましたね、
などと意味不明なことを言いたくもなる。
抱えきれない人間関係を抱えた人間が幸せになれるはずはない。
そして思い出したくもないものは極力思い出したくもない。ふと会った人に思い出されたくもない。
しかし身分を隠すあらゆる条件、資金も土地も何もないから結局親元に戻らざるを得ない。
そこは地雷原である。社会性のない人間がどうやって人間、地元という網の中を、
過去という地雷を避けきって歩ききることが出来るだろうか。そんなことは実際に不可能である。
何ならお向かいさんなんて最初にこの家に引っ越したときからずっと顔見知りである。
それどころか町内も近くの店も顔を見られれば誰だかわかるだろう。田舎は狭い社会である。
それで人を避けて生きようなんてどうやったら達成できるのか、その道のエキスパートに聞いてみたいものである。
極端に言うと海の底で貝になりたい。あるいは電子の海に漂うおぼろげな概念のようになりたい。
「障害者は地域の中で生活する」なんて言葉があるが、私にしてみればいい迷惑である。
地域というしがらみが、いかに人間の髪や首根っこを掴み、縛り付けるかを知らない人間の言い分だと思っている。
誠に遺憾である。