薬とは別に治すためのものではない、守るためのものである | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

多分自分はコンサータとかリタリンとか処方されてもどうしようもない類のものである。

多動と言われるほど多動という時代は既に三十年前に通り過ぎた道だ。

医者が診て妥当ではないから処方されていないという事であるし、

私が心療内科で処方されているのは人間関係とかの不安を和らげる薬と夜寝る薬である。

そもそも自閉症というのは治療薬のないものだから障害になってしまうのである。

簡単に何とかなるなら障害にはならない。もっと脳の奥深いところがざっくりやられているから行動やコミュニケーションに影響するのだろう。

今はその仕組みもよくわかっていないから、対症療法くらいしかすることがない。出来ないともいう。

こちらからは変な物を誘発しないように、生活スタイルをやりくりしながら何も起きないように祈るしか出来ない。

とりあえず勝手に口を開いたりしないことは何よりも重要である。

必要なこと以外は喋らないことも重要である。口を開けておくと勝手に脱線するから。

親だろうと親戚だろうと求められること以外に喋らないことが身を守る手段である。

勝手に口を開けば開くほど汚泥のような何かが空間を流れ出す。

静かに自分の仕事に取り組めるなら、それに越したことはないのである。口を開けば何に繋がるかは誰にも分からないほど華麗に脱線するから。

なので静かにいられるように、あらかじめ他の人に伝えておく必要がある。

障害者施設なら障害者であることは伝わっているから事情は説明できる。

問題は障害者という前置きが通用しない場所である。異質なものは異質として的確に処分される場所ならいない方がいい。

いても何かのターゲットにされるばかりだから、無理にいたところで勝手に関係が悪化する。

それで飲んでいる薬を強くしたりとか、副作用で生活が苦しくなるのであれば本末転倒である。

自分をゆっくり見ている場合ではないかもしれないが、それでもゆっくり自分を見なければならない時もある。

居場所、というのは、自分も他人もある程度快適であり、それなりの意思疎通が図れる、ということでもある。

こちら側が明らかに不利なのはわかっているから、居場所は慎重に探すに越したことはない。それだけでメンタルの具合は大いに異なるから。

自分の酷い癖でも何とかなるなら別にいいが、大半は酷いものは酷いと言われるだろうから、個性と障害のギリギリのあたりで、

何とか判定を済ませてもらえるような場所を探さないといけない。

それが厳しければ作業所に行く必要があるだろう。

少なくとも自分は人間に馴染めなかったから作業所に通っているし、それでとりあえず安定しているから、

まあいいんでないの、と思いながら暮らしている。

自分が金を稼ぐことが嫌いだと思うから、金のために精神をすり減らすことを嫌う人間の居場所なんて仕事場にはないですから。

譲れない事ってそれかよ!とは思われるかもしれないが、出来ない事を出来ますなんて嘘はつけない。

やりたくもないことをやります、と言っても、自分の顔には別の言葉が出ているらしいから嘘をつく意味がない。

別にどの嘘についても同様に不器用なので、それだけでコミュニケーションに支障が出る。

嘘がないということは、顔や動作で隠している事を隠し通す事が出来ないということである。

そんな奴を会話の場に持っていく方が間違っているだろう。表裏がない、とは言わないが極めて裏と表の違いが少ない、

隠していることはすぐに顔に出るやつに大事な情報なんて預けられますか。

もう、一般常識とか自己啓発以前の問題が大問題になっているので、もうそういう常識とか関係ない世界に逃げられるなら逃げたい。

生きる事がとにかく不器用な人間はこのような事を考えて生きているのです。

誠に遺憾である。