異質なものと関わらない日々、自分が異質である事に寄せて | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

苦手な人、異質な人を避けていると成長出来ませんよ、などとビジネス書などでは平気で言いふらす。

では自分の方が明らかに異質である場合はどうすればいいのかと。気合いと根性と精神論でどうにもならないものを突き付けられた場合に、

しかも明らかに異質なのが自分の精神である場合、人の間に入っていく許可など貰えるものか。

実際普通の仕事をしていた頃に、仕事が終わった後で誰かが「アイツのやっていることは訳がわからない」と表でも裏でも言われることはよくあった。

別に特に変わりのない、本や他の人の話を聞いた上で普通の(と私は思っている)作業をしただけである。

でもそんな対応が月単位、年単位で続くと流石に自分がとてつもなく異質なのだと自覚せざるを得ない。

それが自分を自分で精神科に運んだ理由である。もう自力ではらちがあかないしどうにもならない、と。

違う人と合わないのは自分が悪いからだ、というのはわかるがどのレベルで違うか、という時に、致命的なレベルで違うと自他共に不幸にする。

今一人でいるのは他人を巻き込みたくないからである。こんな傍若無人な奴の話なんて聞く、というより聞かせる、の部類である。

だけれどもそれを人に相談してもちゃんとわかり合いましょう、とか、改善点を見出しましょう、とか言われる。

見つからないから人を避けているのに、それを合わせるなんて交通事故のようなものである。

相手に貰い事故をさせて平気な顔をする奴(自分)が何をどうやってわかりあえばいいんですか、と私は自問自答している。

根本的に分かり合えないのが自分なのに、そんなのを人に割り込ませても誰も幸せにならないだろう。

それをすることで天からお金でも降って来ますよ、とかいう天変地異でも起きなければ。

社会人はストレスを避けるために違和感のある人とは付き合わない。

私は普通の社会人に違和感があるし、普通の価値観についていけないから一人でいる。

需要と供給がこれ以上なくマッチしているのに、それを引き合わせることが事故の元である。

誠に遺憾である。