障害ありと宣告された後の私は晩年 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

心療内科に行って発達障害(ついでにうつ)と宣告されてから、普通の私は死んだ物と思っている。

生きているのは、まあ、自分の形をした何かであるとか時折不穏な事を思う。

世間で金を稼いだりリア充を満喫したり舞台で積極的に活動したり、とかいう普通の成功は望むべくもない。

そんなこんなで障害年金が出た二十代の終わり頃に「二十代から晩年」などと言い放ち、実際に実践しながら時間を過ごしているわけであります。

世間に出れば私にも周囲の誰にも心に棘が刺さる。社会性がないからどう振る舞っても良い印象は与えづらい。

「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ」と夏目漱石が言ったような感じに、

とかく人の世は住みにくい。健常者に割って入ろうなんて意欲も願望もない。

ただ河に流されるように静かにさせてくれないか、と訴えて過ごしている。

施設があったら入るべきなのかもしれないが、人がいるのであれば私は落ち着けない。

三十代の頃は本当にやりたいことを損得度外視であれこれやってきた。

他人の話を聞かなくても勉強できると放送大学(科目履修生)に入って取りたい単位を手当たり次第に取った。

福祉施設でバンドも組んだ。スポーツは全く勝てないがやりたいスポーツをして悔いを残さないようにした。

そして思った。多分こういうことは仕事を定年か何かで退職して時間に余裕が出来たからやり始めるものだ、と。

つまり、やっぱり晩年じゃないか、と。

お金がないとか人がいないとか、そんな事は構わずできる事があればやっていた。

不幸か幸いか、私の障害には対人関係は重荷であるから、友人がいないことは個人的には何ともなかった。

無理矢理義理人情で飲み会やら会合やらを引き摺り回される時の心の痛みよ。

試合とか会合とか何かの行事に参加しても打ち上げに出ないと決めて過ごすことの何と気楽な事か。

そして今は歌を詠みながら、土をいじったりパソコンをいじったりして過ごしている。

外車に乗るとか、セレブになるとか変な願望が頭の片隅にでも無くて良かったと心の底から思う。金なんて他人を狂わせるばかりじゃないですか。

などと精神が凸凹になり狂ったと言えば狂った側の人間が言うのである。

誠に遺憾である。