私にとって過去とは都合の良い所以外死ぬまで隠し通せるなら記憶の奥底からも隠し通しておきたい。
思い出したくないし、思い出さなくてもいいし、何なら思い出せない方が私にとって平穏な生活が送れるだろう。
別に私など外では余計なことも必要なことも平等に喋らない時もあれば、必要以上にうるさい時もあって、一貫性がない。
しかし一貫しているのは過去のマイナス的な思い出だけには決して触れようとはしないことである。
それは私の精神の死を意味するから。
一回引き金を引くとドッと過去の押し留めていた悪い記憶、体験、その時の人の言葉、情景が頭の中を駆け巡って止まらなくなる。
それがおそらく世間ではフラッシュバックと呼ばれている事項なのだろう。
私はフラッシュバックを起こすと目の前が真っ暗になったり、存在する記憶に押しつぶされたり、
あまりにもボーッとしているので、人が何を聞いてもフリーズして全く答えられなくなったりする。
まさにトラウマの再体験、というべき事態が頭の中で再生されてしまうのである。もう頭なんてぐしゃぐしゃですよ。
カームダウンが出来る部屋に逃げ込めるならそうした方がいい。聞かれても答えるだけの精神状態ではないから出まかせがさらに恐ろしい事を呼ぶ。
指定席とか、宴会で席が決められている時とか逃げ出したいが逃げられないので余計に怪しまれて傷が余計に大きくなる。
混乱しているときに何をしても余計に混乱するから落ち着くまで放っておいてくれる権利を求めたくなるものである。
人は言葉で判断を迫ろうとする。そのプレッシャーも火に油を注いでもう始末に負えない。
何でもかんでも記憶量が多い、というのも、嫌な記憶も良い記憶も平等にたくさんある、ということだから、
忘れられない人間にはトラウマを忘れたくてもできないものであるし、何も良い事とは限らない。
悪い記憶を連想させるような日常会話の中に入らない、とか、世間話をうかつにふられない、とか、
思い出したくないものを思い出さないままに出来る何らかの権利がなければ、またいつでも悪い記憶を掘り出される事であろう。
何か隕石か何かが急に頭にぶつかって軽傷程度にダメージが入り、ついでに過去の記憶がある程度喪失、消えてくれればいいのに、などと思う。
誠に遺憾である。