極端な話人間関係とかどうでもいいよねとか言い放つ発達障害有りの自分ならまだしも、
ごく普通の何の障害もないごく普通の人間の婚姻率とか子供を産む数とかが減っているのって大問題ですよね、などと、
本当に男女交際を何にもしていない人間が思うのは果たして正常なのかどうか。
ぶっちゃけ人間が面倒くさければその先の交際とか精神のやり取りとか本当にする意味があるのか、程度には考えているので、
私自身が男女交際についてあれこれ考えるのは本当に何もできない。語り得ないものについては、沈黙せざるを得ない程度には。
それよりも最新作のゲームとクラシックの名演と美味い食事のレシピでもよこしてくれ。別に男女交際をしなくてもしなければならないことは沢山ある。
世の中に目を広げていれば他人と付き合うよりも楽しいことも何かしら見つかるだろう。
人間関係を持つ事、広げていく事がリスクマネジメントの中に入っているような人間には迂闊な人間関係は死に至る病である。絶望という名の。
可能な限りDIYで、自分で自分を盛り上げることが出来れば、他人の必要性自体が限りなく薄れて来るものだろうと私は思っている。
人間関係の維持に費やしている時間などない、と。
料理は自分で作ればいいし、音楽も気が向いたら聞いたり弾いたりすればいいし、
その他の娯楽も可能な限り自分好みに調整できれば人間なんて要らない。
私の場合他人と会うことが困難の元であるから、余計なことはしない方がいいのである。話が噛み合わないとかすれ違うとかは、ほぼ毎回なので。
別にこの文章だって他人に取材してまで書くものは何もない。自分の頭の中を巡回してネタになりそうなものを拾って来るだけである。
本とかデータとかは知識として集めておく必要はあるが、すでに媒体でデータになっているものを人に聞く必要もないわけである。
むしろ引用するときに明確な出典が記述できない方が危ない。主に著作権的な意味で。出典自体に誤りがあれば諦めるしかない。
プライベートで他人がしなくていい事は全て自分がする。それ以外の役所の手続きとか、何か法律的に厄介になった時だけ最小限人と話しに行く。
お金を払って専門的な人(主に士業)の意見を聞きにいかなければならないならそうするが、そうでもない市井の人間に聞く事はほとんどない。
別に感情のことについて人と話をしたいわけではないからである。人の噂とか誰かの悪評とか近所の人のプライベートとか実にどうでもいい。
そんなことよりも、今日いい発想ができたか、いい作品に触れられたか、自己表現はできたか、自分の全体的な出来の方が重要である。
私には人間関係は重荷なので何か作品を残せるなら自分一人でなんでもしなければならない。義務というか任務というか、責務のような何かである。
世の中には人に寄りかかる方が、自力で立っているより辛い人もいるのです。
誠に遺憾である。