積極的な人間という災厄(主に自分のことです) | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

別に正義漢ぶりたいわけではないが、私は目立ちたがりが嫌いである。

勝手に他人を貶したり、勝手に頼まれてもいないのに被災地に出て行ったり、

勝手に他人を罵ったり頼まれてもいない葬儀に勝手に出て参加者にあれこれ言いふらしたり、

静かに暮らしたいと思ってもできない、という事を災厄と言わずして何と言おうか。

何かをすれば勝手に人の目につき、別に目立ちたくもないのに勝手に目立つ。ついでに批判される。糾弾もされる。

いやこれ自分がおかしいだろとはなかなかその場で言えないが場を離れて冷静になるとなんかヤバいことをしたかという自責の念に駆られる。

そんなこんなで心療内科に行き、色々な検査を受けましたが、

序盤に受けたAQ(自閉症スペクトラム指数)の検査で、健常者の平均点が50点満点で10点代後半であるところを、

満を持して予備知識なしで40点代を簡単に弾き出したところからもうお察し下さい。そりゃ一般社会に適合なんて甘い甘いと言いたくもなる。

別に迷惑系の人間でなくとも善意で行っても精神に何かあればいずれは歓迎どころか敵意を持たれるような世の中である。

迷惑系のYouTuberでなくとも、善意で出て行って何かしていたらあいつの行動なんかおかしいとか意味が分からないとか言われるのである。

自己肯定感に照らし合わせても精神的にプラスになる、とは言い難い現実を目の当たりにするだろう。

そういう外に出る形の失敗ばかり繰り返して、且つ原因となるコミュニケーション能力が低いために何故失敗したのか反省もろくにできない状況で、

どうやったら失敗しないか、を極端に考えたら世の中に極力顔を出さないこと、が最適解としても、あながち間違いではないと言えるから怖い。

人に迷惑をかけたくないから後ろにじっとしているのに社会参加とかなんだかいうのは、

私にとっては公開処刑とかわざわざ隠れている人間を表に出させて恥をかかせるようなもので、見えている地雷をわざわざ踏みにいくようなものである。

発達障害というのは、生得的な概念であり、努力と学習ではどうにもならない領域もある、社会的な人間関係の障害である。

社会的に自閉症スペクトラム含む発達障害の概念が浸透してからでないと、何も知らないままにお互いに不幸の連鎖を招いて誰も幸せになれない。

誠に遺憾である。