気がついたらなんか老後に必要とされる資金の概算が1000万円増えているんですけど。
そんな桁の貯金なんてないから色々なものをチョキンと切って生きている身分からすれば、
どちらかと言えば生活保護の制度がこの先維持できるのかどうかの方が切実な問題である。
障害者という身分上収入にはある程度の枷がかけられるので、貯金したところで8桁に行くのは、
身体とかでそこまで重度のハンデがない人くらいだろう。あとはお察しください。
単身で生活しても障害が重くなければ公営住宅にも入れず、普通の家賃を払ってアパートに入る。
それか親の家を引き継ぎして何とかしなければならないが、修繕費とか固定資産税とかどうするの、となるので、
別に土地や家を相続できるのはありがたいけれども多分賃貸よりお金がかかる。
年金とか作業所の工賃とかインフレに沿って上がって貰わないと困るがそんな気配はない。
上がらなければ家を相続したとしても売り払って公営住宅に入り資産を使い潰した上で生活保護という完璧に舗装された道しかない。
NISAとかiDeCoとか言われても運用できる資金がなければ何も出来ない。そもそも貯金が目減りしそうな状況で資産運用なんて出来ない。
死ねというなら死ぬしかない。
本当に必要なのは「老後にこれだけの金が必要」ではなくて「少なくてもなんとかなる制度」の認知、改正、啓蒙であろうと私は思う。
勝手に値上げされて相対的に一円あたりの価値が下がれば値上げについていく給付でもなければやっていけない。
最終的に緊急の給付金とかではなく、生活保護に円滑に繋げられる構造が必要になっていくだろう。
計画的に暮らしてもお金が貯まらない構造になっているから、どう足掻いても貯まらない金額を提示されても困るだけである。
医療とか自分にとっては検査だらけでそこまでする必要はあるのか、などと思う時もあるし、
「ぜいたくは敵だ!」などと言いながら節約しても足が出る生活をしていると、本当に生きているって何なんでしょうか、と思うのである。
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と言われても本当にどうすればいいのか。そもそも世間が精神的に負荷な場合はどうなれば最善なのか。
別に消費税を下げろとか減税しろとか、出来ればいいが、仮にしてしまったら社会全体として成立するのかどうか。
とりあえず一番先にやめるべきなのは「これだけのお金がないと生活出来ません」などと煽る、煽り倒すことだろうと思う。
冷静さを失わせる報道、情報がたびたび流れるとそこまで危険でなくとも危険だと思ったりする。
地震とか災害の話は万が一の話として忘れてはならないから、定期的に頭に貯めておく必要があるが、
生きることに明らかに関係のないお金の話ばかりされても、お前は資本主義の豚か、と思うばかりである。
J.S.ミル曰く『満足した豚よりも不満足な人間である方がよい、満足した愚者よりも不満足なソクラテスである方がよい』と。
私が哲学を学んでいる以上、どちらの立場であるかは最早言うまでもないだろう。誠に遺憾である。