世の中が嫌になって芸術に逃亡する | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

なんか人の中には世の中をぶん投げて芸術に走る人とかいるじゃないですか。

国家のトップでも部下や側近に政治のややこしいことをぶん投げて、芸術の路を進んだあげく、

政策の中に芸術に必要な素材・材料の(強制的な)確保に走り、結果的に悪政になって隣から攻められた皇帝とか。

この世がストレス社会だと理解・把握してしまった人は逃避的になるのも仕方がないのです。

その人には自分の器をこえる負荷が与えられていただろうから。

問題は今逃げようと思ったときに逃げる先はあるのか、あるいはちゃんと確保できているのか、

そして遠慮なく逃げられる気持ちになっているのか。

逃げ切りを図っても人を切りきれていなければしがらみに捕まって元通りになる。

人間関係までちゃんと捨ててようやく一人きり、自分の世界に入れるというのも酷な話である。

芸術なんて極論自分との戦いです。

自分を認められるかどうか、自分が円熟の域に達するまではずっと未熟な領域の内に収まっていることを認められるか。

それでも昔のしがらみから逃げられるだけいいではないか、と開き直るか。

それともアマチュアであることを最初から開き直って自由気ままに振る舞うか。

どうしても芸術というのは壁にぶつかるもので、上澄みにでもならなければお金にもならないから、

自己満足をいかに極められるか、他人がどう思おうとも、という領域にでも行かなければとても続けていられない。

贅沢品に対する周囲の目というのは思うより冷たいものです。

何かあればリサイクルショップに行って売れとか日々言われることになるだろう。

コレクションは倉庫を圧迫し、ついでに自分でも何かを作るようになれば空間なんてすぐに埋まってしまう。

当然他人から白い目で見られることは避けられないので、本当に芸術をやるなら自宅とは別にアトリエは必要だと思う。

問題はそんな金はないということなんですが。

だがどうせ逃げるのであれば、現実社会からも逃げて自分の世界に徹底的に籠もれるものなら籠もりたいものである。

現実社会は実にうるさい。

誠に遺憾である。