いやーコミュ障って思ったよりキツイですね。
とか気楽に書こうとしても書けない。現実の壁というのは険しい以外に言いようがないからである。
すぐに真顔になって正面から問題解決に取り組もうとするが問題の根本にあるのは自分の感情表現のレベルが低いで大体済まされるのである。
感情が人並みにあれば乗り越えられる問題も、感情がなければ乗り越えていけない。結果的にトラブル満載になって帰ってくる。
義務的、表面的なやりとりだけなら何とかなるかもしれない。しかしイレギュラーな事が起これば表面的な出来事も感情が入り組んで、
ファジーな問題が壁に激突するばかりで何も進まない。ゲームのデバッグでひたすら壁に体当たりしてすり抜けないか調べ尽くすようなものである。
感情という壁のバグを抜ければ前に進んだり、進展が見込めるのだろうが、壁を内側から話して開けてもらうとかが出来ないので、
ひたすら体当たりして物理的に撃破するまで正面突破を図るしかないのである。当然体当たりすればダメージは自分に入る。
体当たりを繰り返して心身共に傷んでも壊れもしないし手掛かりも見つからないのであれば諦めるしかない。実際にダメージが膨大だからである。
普通の人が難なくやっている感情的なやり取りというものがどうしてそうなっているのかが、どうしても掴めない。
何なら全部論理的に、パズル的に感情を無視して片付けようとする。しかしそれは強引な突破方法であり、何なら余計にダメージが入る。
感情的な事を繰り返す度に莫大なダメージを喰らうのであれば無理して越えるべきものであるのか。
あるスポーツで初心者なのに上級者向けの技とかコースを選んで無事で済まされるだろうか。
別に上級者にもなれないしなる術もないのになんか生きる術と言われて初心者のままで上級者の技をやらされる、
千尋の谷に突き落とされて帰ってこないのも当然と言えるでしょう。出来ない事が急にできる時は革新的なひらめきでもなければいけません。
感情表現で革新的って一体何なんでしょうね。顔の表情なんていつもみているし、そこから訳の分からない言葉を吐くのも見ている。
多分普通の人なら分かっているところを「吐く」と言っている時点でもう既に感情を分かっていない。
顔と言葉の関連性は頭の中にデータベースでも作って顔と言葉をとにかく記録して、照合してそれらしくしている感じである。
私の感情は何処かチグハグな部分が残り明らかに不自然である。取ってつけたような感じが否めない。
何処か素人くささや違和感が抜けない今現在のAIの生成した文章や絵画のようなものだと思う。
そんな感情表現が自然で無理のないものだと思いますか。私は思いません。
誠に遺憾である。