これから先、発達障害の仕組みが脳の機能とか精神医学が格段に進歩して解明されて、
仕事の振り方とか人間関係も本人の無理のない方向に進むとしても、おそらく本当に先の話であるし、その頃に私はきっといないだろう。
いてもいいが多分高齢化して認知症と区別がついていないかもしれない。
それまで何か知らんけど変、で済まさせていたのが医学的に障害であると認定されて、数がなんか知らない内に多くなり、
思ったよりこの障害に該当する人が増えたけど一体社会はどうすればいいか、どのように扱えばいいのか、
少子高齢化で労働者の数自体が少なくなっているけれどどうすれば労働力として見込めるだろうか、
という過渡期なのだろうと勝手に思うようにしている。
今までは単純だけれど疲れる肉体労働とか、一次産業で勝手に耕していれば終わっていたものが、
仕事自体を機械に奪われてしまい、残った仕事もその仕事だけしていれば終わり、ではなくなり、
何でもかんでもコミュニティに属し何でもかんでもコミュニケーションをとらなければならなくなった結果、
必然的にコミュニケーションが取れない奴が順当に弾かれましたけどどうするんですか、
作業一筋でひたすらやり通す仕事なんてもう残っていないのではないか。
何にでもコミュニケーションを足して話をさせようとするから口下手には辛い。
黙って自分の仕事をする頑固職人なんて絶滅危惧種になりかねない。
手順をルーチンワーク化させてベルトコンベアを黙々と流せばいいのに、何を思ったのかそこにもコミュニケーションを強引に入れるから、
黙って一人で、自分の責任でやろうとする仕事までごちゃごちゃになってしまうのである。
正直自分は缶詰めにされて外部からの接続を断たれた上で集中力が出るタイプなので、
周りに人がいればいるほど話しかけられないか気が気でないし話しかけないでくれ、業務は頭に叩き込んであるから、と言いかねない。
そんなに監視したいならうるさいのとか落ち着きのないのとか監視したらどうですか。
監視する事自体で落ち着きを失う人間もいるのである。私のように。
自閉症スペクトラムは行動障害に知的障害含めて本当に幅の広すぎる障害なので、個々の対応が大きく異なり、対応する職員には頭が上がらない。
上がらないけれども妙にフレンドリーだったりコンタクトを欠かさなかったりすると、それはそれで近すぎて憂鬱になるものである。
ちなみに私が落ち着いている時はごく普通だが、落ち着きを失った時の私は本当に始末に負えない。
誠に遺憾である。