ど田舎や中学受験の影もなし
田舎とはそういうものです。
ヤフーのニュースに「中学校受験の三分の一は第一志望に受からない」とか書いてあったが、
そもそも受験する中学という概念のない田舎はどうすりゃいいのか、と。
そのために飛行機に乗って受験して、親戚もいなければ一人暮らしでもしろというのか。
随分とシビアな環境ですね。
私立なんて高校からやっと選択肢に出てきて、余程のことがなければ滑り止めの感覚で受けて合格を保険のように取っておくものです。
私の故郷の私立は過疎化で廃校になって跡形もありませんが。今や滑り止めを保険に使えばもれなく別世界での寮生活でも待っていることだろう。
田舎は子供を千尋の谷に突き落とすのが定めなのであろうか。教育格差なんて言わなくてもわかる。わかるけれど無いものは無い。
そんなこんなで私は地元の公立の進学高校を駆け抜けて大学に行きました。
私立なんて最初から学費的に視界に入っていません。高校入試の時には何故か先述したような遠くの私立に力試しをして受かりましたが、
田舎の生活で私立の学費を賄えるわけでもなく、即地元の公立に入って大学までかっちり公立で通しました。
私立の高校に通うだけで生活が劇的に不便な方向に変わるので、私の周りの私立組の半分くらいは、
朝の六時前の電車に乗らなければ学校に通えなかったり、家ごと引っ越してしまったり、
やりたいスポーツのために県を跨ぐような、生まれた場所での生活パターンを根本的に変えなければならない必要に迫られるわけである。
何が子供にとっても幸せかなんて私にはわからないから何もいう権利などないが、
中学校受験なんて概念のない人間には何処の中学がよいのか、なんて話すらなかったわけで、
せめて学力や習熟度で授業を分けたらどうなのか、とテストの点数をクラスメイトと比較しながら思ったものである。
まあその前にやることが多すぎて公立学校では教員自体が集まらないんですが。
少子高齢化とか人員削減とか合理化とかリストラとか散々言った挙句に人員不足なのは大体何処もそうであるが、
新聞やニュースで聞く限り今の教員はやることが多すぎて本当に何でもこなさなければならない。その上クレームは遠慮なくやってくる。
一気に何十人の子供の指導と子供の保護者の話を聞かなければならない、
トラブルや事故の後のケアや報告をしなければいけない、いじめがないか気を配らねばならない、
ついでに休日は部活も引率しなければいけない、ストレスの塊以外の何物であろうか。
やり甲斐で飯を食えるのはいいが、やり甲斐だけではいずれやり甲斐についてくる人間関係やストレスを抱え込めなくなってしまう。
そしてうつ病とかで精神を病んだり、割に合わないと判断して別の仕事を見つけにいくのである。
そりゃ教員志望者数が激減するのも当たり前の話である。仕事自体が楽ではないが敢えて激務に身を投じるなんて勇者である。
人材が育つような環境も待遇も無くして、一体どうやって教員含む人間を教育すればいいのか。
受験だけで全てが決まるような人生なんてクソ喰らえだと思うが、受験して進学した先の人材がクソであればどこに行こうと漏れなくクソである。
学校教育が率先して茨の道を進むのであれば最早世も末です。
誠に遺憾である。