電話をかけられないという単純な権利 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

プライベートで仕事の話なんてしたくない、というかそういう分掌につきたくない。

結果的にその前に発達障害だと判明して、障害者雇用などで責任も随分と軽くなったのでプライベートを侵食されることは無くなりましたが、

医療とか介護とかで急に親族が危篤になった、外に出たまま帰ってこない、行方不明になった、あと「いのちの電話」とか、

という身内の命に関わること以外で別に話すこともないので本来なら通信なんて常時切っておきたい。

どうせつけておいてもかかってくるのは不審なリサイクルショップやマンションの売り込みである。

非通知なんて最初から出ないに決まっている。特殊詐欺とかはかかってこないが、私が作業所に通っているので、

仕事のトラブルがあった、とか言われても仕事(という名前の軽作業)をしているから、

そもそもお金を管理も出来ないし、横領するお金自体が仕事の中のどこにも存在しないと言っても過言ではない。

通所も送迎車で通っているので交通事故でトラブルが起きてしまっても極論私の責任はない。

とにかく電話が苦手だから、ゲームをする上でスマホの電源は入ってはいるが、電話だけ切れるものなら切っておきたい。

電話番号なんていらない(意味不明)

電話番号を廃止したら今の時代なら常時行方不明みたいなものですが、

携帯電話のなかった時代には常に所在や生死を確認する連絡をするような手段もなかったけれど社会は動いていたので、

一体何が人間にとっての自然なんでしょうね、と思いながら過ごしている。

用事もないのに雑談目的で連絡を取るなんて私はしないし、別に電話で生存を定期的に伝えなければいけない相手も存在しない。

連絡する必要がないというのは、いかなる場合でも相手に一切手出しをしないということである。そして私も声を出さない。

人と話す時間があったら詩歌の勉強をしたり、畑仕事をしたり、料理を作ったり、

DIY精神を自分一人だけで発揮して、一人でのプライベートを充実させる方向に動きます。

私は私一人で片付けられる分の仕事をしてプライベートを過ごします。むしろそれしかできません。

急に、不意に誰かが来るということは一切想定しておりません。スケジュールも組みません。

私にとってリア充と言えば誰の手も煩わせず一人で自分の世界の中ではしゃぎ回ることです。

それは誰かの気配がしただけで台無しになるような繊細なものである。

そんなのでは何か危急の事態があった時にどうするのかとか言われそうではあるが、

孤独死なんて死ぬ本人の問題ではなく後片付けと手続きをする残された他人の方の問題です。

死にたくないのに死ぬのは当然である。いずれ人は死なねばならないが、死に至る時期や時間を選べるほどの余裕と権利はない。

時が来たならば開け渡さねばならないものである。

そういうリスクを背負ってまで一人になりたい人間はいると私は勝手に思っている。

人間の網というか、連絡網とかとても人が逃げようとしても逃げられない仕組みをしているじゃないですか。

切って逃げられるなら逃げて大逃げを放っていつ死んだのかも判別しない、そういうものに私はなりたい。

誠に遺憾である。