我が家では食事以外で滅多に顔をつき合わせることもない。
親が居間に鎮座して不動なので、特に話す事のない自分が半強制的に自室に引きこもって食事と風呂とトイレ以外で部屋を出る理由がなくなる。
自分は作業所に通うので定期的に家を離れる時間を確保しているが、
ずっと家で顔を向かい合わせて疲れませんか?などと両親がずっと居間にいるのを良心的に見れば仲がいいですね、とか思うが、
逆に言えばどうして自室があるのにそこに行かないのか、と問いたくなるわけである。
見る映画もある、本もある、その他一人の方が遥かに楽にならないか、と私は常日頃思う。
実際顔を合わせるのに耐えられない自分が自室に逃げ込んで大体そのままである。
別に一人暮らしをしていた時も何か切羽詰まったことでもなければ親と連絡もしないし、
何ならLINEとか既読にしないで親から説教されるぐらいなので、どこにいようが話す事がなければプライベートな空間に入りたい。
実家に帰って家族と過ごすことになっても別に連絡がいらないから不要なLINEが入らなくなっただけで、
家庭内のコミュニケーションが増えました、とか、色々な関わり合いが増えました、という事は別にない。
マイペースを保たないと精神がきついからである。一人の、プライベートの時間はなるべく長く保たなければいけない。
それを家庭内別居と言われればそうである、としか言いようがないし、打開策とか別になくても困らないし、
むしろ自分のプライベートを潰される方が人と会うよりも遥かに困るわけで、
精神的安定を保ちたければ無闇に人と会ってもいられない。自分のものに囲まれた自分の部屋でじっとしていた方が気楽である。
家族という構造が、全員に精神的充足をもたらすものなのか、と普通の人に問えばそうである、と言う気がするが、
私はなんかそんな気がしない。別に喧嘩をしているわけでないがあればいいし、なければないでいい。
むしろ自分の存在が家族にかける迷惑の方が遥かに気がかりである。
自分の存在自体が誠に遺憾であると、大体全てに申し訳が立たなくなり、極論生きていてすみません、と言いたくなる。
これでちゃんと仕事とかできていれば気に病む事もなかっただろうが、仕事ができない理由の大半が発達障害由来の原因であるので、
何とかしたいがどうにもならない。人間の差をこれでもかと見せられて絶望しないのであれば、それはそれで人間として終わっている。
人に、他人に迷惑をかけないようにするために自分ができる事は、極力一人で全部こなして他人をなるべく巻き込まないようにすることである。
何をしても申し訳ないことになるので、迷惑があるということを前提にしてもなお申し訳なさが全面に出てきて恐縮する。
のびのび動くなら他人を巻き込むことのない場所と場面でしなければならない。
しかし自宅には家族がいるのでそんな場所はない。親が出払っている時くらいしか、家の中をのびのび動ける時間がない。
誠に遺憾である。