孤独とは何を救うのであろうか。
いずれ自分もペットは飼わない事以外はこのようになりそうだなと思って見ている。
張り合いがなくなれば人は急激に老けて、認知症とか抑うつ状態になるとか、
親がいなくなったあとの事を考えると全く他人事ではない。自分に深々と突き立てられた槍のような話である。
抜け殻のようになってしまえば生きる意味を失い、ただ生きているだけの人、ハイデガーの「ダス・マン」未満の存在になるわけである。
世間話にふけることもなく、何か享楽に溺れるわけでもなく、生きているだけで時間がただ過ぎていき、その過程で老いて病んでいずれは死んでいく。
生老病死は人間にとって避けられない問題であるが逃げ出すこともできず、煩悶したり絶望に陥ったりするが、
社会や自分に課題解決の糸口が見つからないとすれば、野心などあるはずもなく、最早生きていてもしかたあるまい、とならざるを得ないわけであり、
その過程で心を病んでいく。病んでいるが他人を困らせなければ明白な問題になることもない。
そのまま放置されたまま過ごし、そのまま放置されたままで全てが終わる。
今現在本やCDを溜め込み、所狭しと並べている自分も、片付けろと言う親がいなくなれば、部屋は単なる無法地帯になりうるわけであり、
実際以前一人暮らしをしていたときは、誰も招かないし、人が来る予定など全くないので、パソコンで色々作業をすること以外、
雑貨とか本とか電子機器とか(流石に食べ物や生ものは後が怖いので雑には置かない)その辺に物が散らばり、
本当に一気にまとめてなんとかしない限り、どうにもならなかった。人が来ない家は荒れる。自分が散々証明しているからわかる。
ホームヘルパーでも雇わない限り雑然と、混沌とした部屋になるのは運命である。見張りがいなければ人間はどこまでも堕落する。
アトピーとか皮膚炎と重いアレルギーを患っていると薬を飲んで塗ってまで、わざわざ外に出る理由なんてあるのかなどと時折思う。
おまけに自閉症スペクトラムとかもあるので、意図せず人に会えば人と一悶着あるのが日課になり、
人と会う予定が憂鬱になり、全部極力一人で済ますようになり、一人の方が遥かに気楽だと感じ、そもそも人間に疲れ果ててしまう。
自分のことに精一杯にガリガリとし始めると、いずれ冒頭のように自分を管理することにまで疲れ果てて何事もすっ飛ばす。すっ飛ばしてしまう。
人間関係は既に断捨離して跡形も残っていないので福祉の人脈と親族がいなければ孤独死まっしぐらであろう。
人間関係を築くことが困難で、人と集まることの空気が読めなかったり、不文律、暗黙の了解が見えなかったりすると、
人と会う方が遥かに困難が多く疲れて心に余計なことをさせる。人と会うのが重荷になりほぼ手放して過ごしたいと何年思ったか知らない。
無気力、という領域ではないが、人と会うのはとても億劫である。一人でのびのびと過ごしたい。
しかしそうすると本当に住環境が荒れ果てる。結局どうすればよかったのかと自問自答する。
生きるって何でしょうね。長生きするってそんなにありがたい事なのでしょうかね。
なので生き甲斐とか張り合いのつく何かはたとえ孤独でも手に入れておかねばなりません。
誠に遺憾である。