明日はいい事があるとか言って他人を励ますけれども、言った人と言われた人の「いい事」が一致しなければ何を言っても虚しいだけである。
立身出世を望まない人に君は偉くなれる、とか、お金に価値はない、と言う人にこの仕事に移ればもっと稼げる、と言うようなものである。
そんな事はどうでもいいから野心ばかりの人に囲まれず安逸に過ごしたい人には世間的な価値観をどれだけ言われても足しにはならない。
目や耳に砂とかゴミが入ったから払いのけるという程度の扱いでしかない。
名家であったり王であったりしても時々虚しくなって出奔したり山に隠れたり出家する人もいるのに、
常に人と人で交わり前線で闘い続けなければならないとは、なんと過酷な世の中であろうか。
隠者になりたくとも戸籍や現代社会の制度が邪魔をして縁も切れず、迂闊に人里離れた場所に移動もできず、
仮に山に移動したところで熊に襲われかねないとしては、まあ迂闊に家出しない方がいいのかもしれないが、
それにしてものびのびしようとして出来ることがあまりに限られているのは不幸ではないのか。
人の中にいて、人と交じらざるを得ないからこそ恥が益々積み上がって崩しもできないのに、
精神的安定などどうやって得ればよろしいか。人との摩擦を減らしたいと思っても組織から何かと言われたり嫌がらせを受けるのであれば街中で隠れたとしても、
かくれんぼの鬼がどんどん人を見つける事によって増えていき、隠れる事が難しくなるように、
街中に隠れるのであれば本当にそこに居ないふりでもしなければならない。
家賃と光熱費と食費だけ支払って、社交費には一切手をつけないとかでもしないと、一人きりにはなれない。
なんと虚しい世の中であるだろうか。
『人間失格』の手記の冒頭で「恥の多い人生を送ってきました。」という「恥」は人や社会に散々すり潰されて止むを得ず出てきた恥のことだと思う。
「聡を知れ」などと誤植してかく恥とは根本的に異なる、「人間から分泌される恥」だと思います。
すり潰さなければ出てこない、分泌されるはずのない物をわざわざ出すのだから、
本来人はいかに人と交わっても、時折り一人で外の連絡を絶って過ごす時間がなければいけないものだ、と思うわけである。
誠に遺憾である。