収入がろくなものでもないのに親離れできるのか。永遠の課題である。
他の人と比べたら明らかに微々たる収入である。それが一因で親離れできていないのも事実である。
そもそも私は精神障害者の部類に入っているので、仕事を見つけるのも難儀だし、田舎なので輪をかけて仕事がない。
かと言って家を飛び出しても収入はなく仕事の保証もないので障害基礎年金が頼りである。
いずれは生活保護かなんか分からないベーシックインカムとかに頼らざるを得ないだろう。
仕事があればいい、とはいうが田舎では障害者雇用なんて天然記念物か絶滅危惧種扱いの求人数で、
仕事の内容が肉体を駆使するほど、関節が歩くだけで悲鳴をあげる現状では選択肢に入りにくい。
つまり詰みである。
しかし家にいれば一人一人の価値観があってぶつかり合うことに変わりはないので、
定期的にぶつかるだろうし、ぶつからなくても細かなすれ違いが積み重なって山となっていく。
そして山がどう見てもこの目で確かめられるようになった時には時すでに遅し。
親か子かどちらかの価値観を根本的に覆さない限り平和的な解決はありえないだろう。つまり無理ということである。
子は、たとえ障害者であろうと親の奴隷ではない。何でも言う事を聞くと思うのは勘違いである。
ただ勘違いも度を過ぎると単に憂鬱の種にしかならないわけで、親の人形を演じるのも疲れてくる。
社会性がないとか協調性がないとか発達障害ではよく言われるけれども、外だけでなく家の中でも何ら変わりはないだろう。
コミュニケーションに欠陥があるのは知っているから事故を起こさないよう外に出したり、人と交わらせないようにしてくれと言うのは間違いだろうか。
そういう人との関わりを減らしてくれという陳情が親にことごとく却下されるので、
親は本当に自分の障害について知っているのか、と首を傾げたくなる。
盗む気は全くないけど行く先もわからぬまま車か自転車に乗って遠くに行きたくなる。
一人が救いである人間にはどんな人間も毒になる可能性がある、親とて違いはない。
人に依存したくない、と言うのはそんなに間違いなのであろうか、その人間に散々振り回されて疲れ果てたのに。
しかし家を離れるにも先立つものはほとんどない。健康で文化的な最低限度の生活からは程遠いものになっていくだろう。
誠に遺憾である。