何か人間と関わると不安になりますよね(意味不明)
などと適応障害的な発言から始まりますが、ぶっちゃけ人付き合いをやる気がない。できる気がしないからである。
おおよそ自分の行状の前歴を見るに人とうまくやれたという経験がないので、何をしたらうまく出来たのか、うまく出来たとみなせるのか、
人間として真っ当に生きてきた気が全くしないのである。あるのは失敗と苦痛ばかりで、円満に人間関係が終わった気もしない。
失敗を重ねていくうちに人間自体がわからなくなり、人間とは何かと問い始め、人間が嫌いになっていくのであります。
学校にいるうちは学年で上に立てば一応なんとかなる(ただし学年だけで引っ張る)ので、本当に一応なんとかなったが、
社会に出て年齢が上に立てば偉くなるわけでもないことになると、
本当にうだつが上がらなくなって何とかしたいがどうにもならない。人と会えばトラブルを起こすしまず会話の筋道がずれ出していく。
あまりにどうにもならないから最終的に精神科に行き検査をうけて、発達障害という診断になった。
何か訳の分からないものがあってうまくいかないのではなく、ちゃんとした理由があってうまくいかない方がまだ理由があっていい、
と言えるほどに訳の分からないこと(恐らく社会一般の通念に従えば正しいこと)に見舞われて生きていたという事になる。
人間が分からないというのは、人間の持つ空気とか感情の機微とか、あるいは通念が読み取れなくなっているわけで、
車で言えばエンジンは動くけれど制御が効かない、サスとかブレーキとかがぶっ壊れている状況、要はコントロールの効かない状況である。
勉強はできるが勉強しかできないので、テストは突破できても面接が突破できない。
それも強引に何とかしたが繰り返すうちにこの経験年数でこの結果はどうなのと言われるようになり、結果として先述のように精神的に直行した。
ある意味落ちるべくして落ちているので当然と言えば当然である。
人間関係では本当にゴタゴタばかり並べてきたので、自力ではなんとかできないが結果としては自業自得と言わざるを得ない。
そんな人間が新しい経験をしようと前のめりになれるとお思いですか。
心の何処かでまたダメになるとか、なんか感覚的に前と同じことを繰り返しているとか、
空気は読めないけれど直感が告げるようになってきたのである。
それを抗不安薬を飲んでマイナスのオーラが滲み出ないようにして、何とか乗り切っている。
昔と違って福祉作業所にいるから、ここの人間関係をこなせ、という要求もないから、
私は作業所で半分ひきこもりつつ、一人でやれる事をして生きている。
正直他人もなるべく巻き込みたくない。一人で終わらせられるならそうしたい。
なぜあれこれ人と関わる事に関しては言われないのに一人になっている事に文句を言われなければならないのか。
向き不向きがあって人付き合いが向かない人に無理に人と交わらせるのはそんなに正義なのか。
誠に遺憾である。