好奇心の尽きた時が多分死に時 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

好奇心は発達障害を殺す。

すいません適当な事を言いました。

私の生きている理由があるとすれば何かに(何かは問わない)集中できる物事があるから。

多分発達障害から来る過集中だとは思いますが、衝動に突き動かされるのが己の生き様のようである。

また、追いかける物事を追い続けられる金銭と身体とメンタルの余裕があること。

これが無かったら生きていても仕方があるまい。


とりあえず今のところお金のかからない趣味に没頭出来ているので何とかなっていますが、

私の出費の最大のものは自分でパーツを集めて作るパソコンと楽器類(ギター及び周辺機器)なので、

それらを追えなくなれば趣味を追い求められなくなるので、それこそ生きている意味を問う。

現在そのお金の掛かるパソコンと楽器の代替になる物を探している。

むしろ今のうちに探しておかねばならない。

作業所の工賃と年金程度で何とかなる趣味はそんなに多くないだろう。

何とかなったのはきっと親がいるからで、いなくなれば多分大半の趣味はなくなる。

それでもパソコンは数年おきに少しずつ部品を取り替えたりして一気にでかい出費にならないように気を配ってはいます。

パソコンがなくなれば調べ物もできなくなり、AIに何かをしてもらえなくなったり、

それから音楽もデータで保存しているのでパソコンが壊れたら大半のことに支障が出る。

知識に対する好奇心は昔から大きいので、パソコンで情報を仕入れるだけでなく、色々な本も買い漁って過ごしている。

何かの哲学や宗教の本とか、社会学、ジェンダー学の本、

それから自分の患っている発達障害に関する専門書や当事者の本、また発達障害に付随する二次障害についての本、

その他ミリタリーやゲームに関する本、楽譜、本を集めればキリがない訳で、

多分買えなくなるか買う本が無くなれば自然と死ぬ。本当にやる事がなくなった時であろうから。

新しい知識を仕入れられないという事は文章を書くにしても知識の根拠や裏付けも出来なくなるわけで、

私にとっては本当に生きていても仕方がない。

好奇心が満たされなければ不満ばかりが溜まり、家の畑の土を掘り返して唐辛子やズッキーニやニラを植えるなどの不審な行動に出る。

お金のかからない雑草でも引っこ抜いて食べてしまうかもしれない。

でも野食でお勧めできる食材を除いてその辺の草を食べるなんて苦行である。

この間スベリヒユが育つのをゆっくり見ていたが急に親が除草剤を撒き始めた。当然食べられなくなる。誠に遺憾である。

何かがあった時の野草の知識なんて今年から急に身につけ始めたが、そういう好奇心が自分を支えていると言っても過言ではない。

逆に言えば好奇心が向かっていく先をブロックされれば簡単に精神的に死に至る。

死に至る病とは絶望の事である。

すなわち自分の興味関心がありとあらゆる手段によって阻害される事によって死に至るのである。

まあ本当にやむを得なくなったら自由律俳句を適度に詠んでそれっぽく生きるより他はありません。


猶以上の趣味に関してなるべく他人が自分の趣味の庭に入らない事を念頭においています。

好奇心を曲げようとするのは大半において敵とみなされる。

それはゴルゴ13に背後から近づこうとしているのとほぼ同じ事である。

別に結果はグダグダでもいいから、お願いですから庭からはみ出ないようにするので止めないでください。

それは生きる事を止める事になるのです。誠に遺憾である。