カラオケの家庭内の音楽の方向性の違い | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は家族とカラオケに行くと大抵憂鬱になる。

多分私には協調性というものが欠けているので集団での盛り上がりとか、空気を読んで何かをする、ということが兎に角不器用なので、

場は盛り上がらないし、どうしたら盛り上がるかも分からない。


何よりも音楽の方向性の違いで私には家族でカラオケに行く事が呪縛か何かのように感じられる。

自分以外の他の家族は一つの部屋で好きにやっていいですから自分だけ孤立させておいてください、

要するに一人カラオケにさせてくれ、お金は払うから、などと意味不明な供述を繰り返すのである。


まず自分しか知らないような曲が多くて人に聞かせても変な顔をされる。

なんか自分以外に洋楽を嗜む人がいないのに洋楽なんて歌って何の意味があるんですか、

かと言ってなんの変哲もない邦楽ポップスは、それが嫌でクラシックや洋楽に逃げた原因なので、

何でもない曲で横揺れなんてしても私には何のことだかサッパリ理解できない。

そもそもヴィジュアル系にハマってそこからハードコアとかヘビメタに進んでいくようなヤツは、

普通の音楽で物足りなくなっているからそっちに行くのだということをわかってもらえない。

しかし、歌手でもない普通の人(家族)の歌うごく普通の、メジャー路線の曲を聞いていて、

興味のない表情、要するにつまらない、という顔を人が集まっているカラオケでやると間違いなく空気が読めないと言われる。

しかし逆に言えばつまらないもの、興味のないものを延々と聞かされる方の身分になって考えてください、とは常々言いたくなる。

そしてマニア向けなのを自分が歌っても、他の人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で聞いているので、

お互いに興味のないものを延々と聞かせ合う時間に一体何の意味があるのですか、と問い掛けたくなるわけである。

実に不毛だと思いませんか。私は壁に唄っている方が非生物なだけまだ分かってもらえるのではないかと思っている。

家族だから音楽の方向性の違いで解散できないだけで、普通の人付き合いならとっくにバンドでも何でも解散して崩壊して、

等しく一人で部屋にこもってカラオケして下さいと言われた方がまだ救いはある。

そりゃあ音楽の専門的な教育を受けている人間とそうでない人間を比べたりしてもカラオケでは意味がないと思うが、

私は無味乾燥な音楽を聴くために音楽を勉強した訳じゃない、こんな曲を聞くために生まれたんじゃない(鬼束ちひろの月光風に)

それではお聴きください。System Of A DownでB.Y.O.B。

と言ってついてこれる人がいることがあっ奇跡ぃみたいな扱いをされる環境で、何に救いを求めればいいのでしょう。

それにどうせ埋もれるならバンドとか合唱の轟音の中に身を埋めたいじゃないですか。

ギターもアンプも持ち込めないようなカラオケボックスに一体何の意味があるというのか。

誠に遺憾である。