生まれ変わったら何をしたいとかよくネタにされるけれども、精神に色々訳アリな身分としては、
その障害次の転生先でちゃんと無くなるんですか、とはちゃんと言っておきたくなる。
障害をプラス思考に、とはいうけれども、それはどうあがいてもひっくり返るものがないから開き直っていくしかないわけであり、
心構え程度で障害を考えられたら突風の前に大体その辺のものは吹き飛ばされるだろう。
マイナス、というか根本的に価値の異なるものを目の前に置かれてあなたは何を考えますか。
「そのままでいい、ありのままでいい」と言うにはあまりにも酷すぎる。
犯罪とかなら自業自得、身から出た錆、とかあれこれ言われるが、
障害は果たしてどうであろうか。無闇なことをやって身体に障害を負う、以外のことは、
知的障害や発達障害のような先天的なものだったり、事故や病気や単に死んでないだけの怪我のような後天的なものであったり、
本人に負い目があるとは果たして言えるのだろうかわからないままに負に落っこちているわけである。
それは個性と呼べるようになるには相当のアク抜きやら下準備をしないと、
調理しきれないものをいきなりお出しされるように噛んでも噛みきれないものを唐突にお出しされるようなものである。
困惑しない方がおかしい。
はい、あなた明日から右足を無くしてください、と言われて素直に納得できる人がいたら探し出しておきたいものである。
多分その人はメンタルが強いだろうから、ついていけば学べるものはきっとあるだろうから。
心、精神が脆いというか弱いというかガタガタになりやすい、そんな傾向の障害になっていくと、
メンタルの強さとは何をしたら、何を食べたら、何を信条にしていたら、なるべくしてそうなるのか、
障害を背負ったとしても精神が変わらず強くいられるのなら、
死以外の何がその人を止められるだろうか。
そのような強メンタルで人を簡単に傷つけない人がいたらそのようになりたいものである。
もう強さとは程遠い位置にいるから、強さとは何かを考える前に、どうすれば弱くならないか、
勝手に落ちていくのはどうしたらいいのか、を真摯に考えなければならないだろう。
なんかそこまで来たら「毎日食べるご飯が美味しいから勝ち」みたいになりかねない。
何でもいいから無理矢理精神勝利に持ち込む、と。
まあそうでもしないと私は生きるのなんて辛くてたまらないような過去でしたが。
現在赤貧みたいなものだが、お金を稼ぐことに違和感や抵抗感があるからメンタルが過剰に落ち込まないで助かっている部分もある。
美しいものは私にはきっとシモーヌヴェイユ的な美しさでなければならない。
余計な手を加えず、賞賛も得ず、それがそれ自体として美しいから美しくなくてはいけない。
お金とか別にあるに越したことはないが自分が持ったら価値が濁りそうなのであまり余計に持っていたくはない。
そのような世俗関連でのマイナス的に働きかける様々な意味を経て、捨てて、
世間一般の価値観が合わないから壊すではなく、別世界にいて無かったことになる、
これとそれとは別な、異なるものであり、平行線のように交わらない、
もし私がプラス思考になれるとしたら、世間の一般的な良いというものをそぎ落として、私が私としての世界に安定して存在できる場合であろう。
合わないものは文字通り合わないのです。
誠に遺憾である。