やっぱり性的自認が多数派の人と異なると何かあった時に精神的に不安定になるのだろうか、
などと今晩のニュースを聞いて思いました。
これでまた27クラブの人員が補充されるのですか、と意味不明なことを言いながら。
芸能人とかアーティストとはあらゆる意味で噂を立てられやすいから不安定で脆く、
そして公衆の目に晒されやすい仕事だから、何か覚悟でもないと迂闊に手をだしてはならない。
そもそも何か有名になろうというところからもう芸能人でなくても(学者とかお役人とか)あれこれとやかく言われるようになっているのだから、
正直SNSと嫌でも付き合わないと生きられない職業の方々とは本当に大変なのだと思いました。
ちょっと前に死人が出てあれこれ騒ぎ立てて名誉毀損とか中傷の基準とか範囲について揉めていたのが本当にちょっと前にあったばかりなのに。
若い頃は自分も社会学でジェンダー学を学び、何やかやで先入観に動かされたり、ラベリングだけはしないようにとか思ったり、
結果できたためしはないですが、ただ性別というのは過剰に固定的ではならないとは思いました。
流石にトランスジェンダーの身体は男の女性が身体が男性であることを利用して、
あらゆるスポーツの女性のみの大会に出て暴れ回るのだけはなんとかして欲しいとは思う。
しかし、そういう露骨に競技の成績に関わらない部分での、
本当に個々人の生き方、ライフスタイルなどはあまり伝統的、固定的だと新たな視点を見失い、
その人の抱えている問題に対して批判することしか出来なくなるような社会構造では、少数派に対する柔軟性と対応力を失う。
LGBTがどうとかSDGsがとか横文字を並べられて混乱するとは思いますが、
要は今までが固定的だったことへのぶり返しだと思うのです。
むしろ今までほぼ一通りに性別の向きを固定してきたから、それ以外のコッソリあった様々な性別の方向の違いについて、
見ることもしなかったり見ないふりもしたり、ある、ということまで認めようとはしなかった。
それゆえに身体の性別と精神的な性別の違いに戸惑い葛藤したり、精神は極めて不安定な場所に置かれてしまう。
しかし自分自身の性のありようについては自分で認めるものが答えであるし、
出した答えが社会的に不利なものであったとしても、個々人の在り方を覆すことは強引にでもしない限り無理だろう。
これで目立たない仕事をすればまだ出せる場所を選べるが、芸能が仕事では個々人の在り方を公開せざるを得ないから、
余計に注目されるし、余計に気を配らなくてはならないし、そして余計にあれこれ言われる。
これで不安定になるな、という方が無理な話しである。
一般人でもSNSであれこれ飛び回る言葉に気を病むような時代である。
普通が普通でなければ心無い言葉も石つぶてのように飛んで来ざるを得ない。
そして積み重なった言葉が人を殴りにかかるのである。誠に遺憾である。